新日本ビルサービス株式会社

  • 社長あいさつ
  • 会社案内・アクセス
  • 私たちの事業
  • 採用情報
  • お問合せ
カテゴリー

情報さいたま 第101号
さわやか社員880名でのびる新日本ビルサービス
関根一成

発行:埼玉情報社 平成18年8月15日 (P2~5より引用)


さわやか社員880名でのびる
 親父(関根直幹)を追い越してみろ!と創業
 新日本ビルサービス関根一成氏のど根性

 新日本グループの社章の3本柱は武蔵屋、新日本セシオ、新日本ビルサービスの3社である。創業者の故関根直幹氏は企業ビジョンをダストコントロール、ビルメンテナンス、クリーニング・リネンサプライという3つの環境サービス分野での品質向上を心掛けてきた。その創業者精神は今も後継者に引継がれている。関根一成・新日本ビルサービス(株)社長と共に880名のさわやか社員が明るい笑顔でクリーンサービスを提供している。父親の生前中に創業、創立会社の武蔵屋(業務用クリーニング)、新日本セシオ(リースキン事業)に劣らぬ企業に成長、父親ゆずりの負けん気がここまでに成長させた。(中島充章)

 平成5年5月たった4名で新日本ビルサービス創業
 新日本ビルサービス設立に恰好いい理由なんかないんです。私は長男ですから、自ら苦労して這い上がって来い!と親父にどなられて創業したようなものです。
 外で修行して新日本セシオ栃木支店から本社に戻った28才の頃には営業、新規開拓で駆け回っていました。
 大宮JCに入っていましたので毎晩飲み歩いていました。親父から見ると非常に危なっかしく見えたんでしょうね。自分なりに一生懸命やっているつもりが親父とぶつかる。外面がいい父も息子に厳しく、役員会でも私には物が飛んでくる。「出て行け!」の言葉に私は何度も席を立って出て行きました。困り果てた父は「そんなに生意気な事を言うなら自分でやってみろ!」で創業した新日本ビルサービスです。JCを卒業前の39才、平成5年5月です。新日本セシオから、新卒で入社した浅見現常務と加藤部長たち4名でのスタートでした。今になって考えますと新日本ビルサービスは父なりの事業拡大の夢を私に託したのだと思います。創業者である父を追い越してみろと。
 また、政令指定都市を目指したYOU AND Iプランで周辺事業所の増加、セシオ事業との連携相乗効果も考えていました。

 ダスキンを追い越せの毎日 無駄金はつかうな
 社会人のスタートは大学を出てイトーヨーカ堂が修行先でした。スーパーの伸び盛りでセブンイレブンができた頃です。精肉売場のリーフになり、将来は外食産業のレストランをやりたいと思いました。仕事が面白くなった頃、父に呼び戻され、すぐに新日本セシオ関係のトーカイに生かされました。
 岐阜に本社があるリースキンチェーンの本部です。工場、営業、社長の運転手、秘書みたいなことで小野木社長に1年間仕えました。1年間の修行が終わるといきなり新日本セシオ栃木支店の設立に宇都宮へ単身で赴任しました。新日本セシオはリースキンの首都圏本部でして昭和56年、26歳の頃です。
 事務所があるだけでリースキンの代理店募集と直販拡大が仕事です。現地で始めて社員採用したパートナーの吉野さんと毎日が飛び込み営業で2年間やりました。ダスキンがかなり先行していましたから、毎日が戦いです。栃木支店を立ち上げて本社勤務になったのは昭和58年です。
 本社では社長の2代目ですからどうしても甘い。頭で分かっていても体では分からない。親父からさんざん「無駄金を使うな!」でした。自分としては使っていない、飲んでいるのも仕事だとの思いですから。痛い目に遭わないと人間分からないものです。今になって父の言ったことが理解できます。

 10ヶ月で資本金がパー 「さわやか社員」10年で10倍
 私は給料無しですが、新日本ビルサービスの資本金2000万円が10ヶ月でほぼ無くなってしまいました。初めて資金繰りの厳しさを体験しました。それでも必死の営業努力で初年度から少しですが営業利益を計上できました。
 すべて0からですから分からないのが当たり前です。原価とは何か?ガラス張りの価格を決定してお客様の不満を聞くことから始まりました。毎日興業の田部井社長からたくさん教えていただき感謝しています。南浦和駅前のホテルニュー埼玉の清宮社長には、ホテル清掃の実績0をお見通しの上「がんばれよ」の一言で仕事を任せていただき感激。今のホテルサービスの礎となりました。
 「さわやか社員」の呼称は、パート社員の当社流名称です。さわやか社員が200名を超えた平成9年からお客様にも参加していただき、研修と通して共に学んだことが成功でした。
 研修にはものすごいエネルギーが必要です。約3時間位ですが、大きな動機づけになっています。
 昨年オープンした熊谷駅前の再開発ビル「ティアラ21」の松本光弘社長さんが研修に参加してくださいました。松本米精麦の社長、熊谷商工会議所会頭でもあるんですが、20年に亘る再開発の熱意と努力のお話に全社員が感激、その思いを共にした気持ちで「ティアラ21」の常駐清掃をさせていただいております。
 人が財産です。営業収入は清掃業務と設備管理が基本ですが、プロパティマネジメントにも積極的に挑戦しています。「さわやか社員」は時給で働く当社社員ですが平成5年第1期の70名から現在は880名になりました。今、当社を支えている鈴木、山田取締役、幹部社員はこの創業時に参画してくれたスタッフばかりです。

 80才の社員もいる定年制のない会社
 さわやか社員の定年制をなくしました。最高齢は80才です。80才の池松さんは海軍の特攻隊員で鍛え方が違います。好奇心旺盛で、なんと携帯電話でメールをやってますが、過日私と飲んでいて「社長、人生相談にも乗ってやっているんですよ」と若い女の子からのメールがあり、びっくりしました。さわやか社員の平均年齢54才、若い人もいますが70才台はザラです。働くことに感謝してくれます。私のエネルギーのひとつは、みんなが喜んで仕事をしてくださることで私こそありがとうございますという心境です。今になって父の「感謝のこころ 報恩のこころ」を常に思い返しています。
 「生涯青春でいきましょう」とみんなと語り合います。年齢の高い方が常識もあり、気配りも確かです。若い人も見習いますよ。お客様のところでも誠心誠意の清掃作業と共に徹底して明るい挨拶をすることを心掛けています。常駐したその日から社内のすべての人に明るい挨拶をする運動を展開しています。

 売上至上主義で失敗 父親の教訓を思う
 事業にも「好事魔多し」と言いますよね。実は大失敗をしました。東京銀座8丁目、三井不動産グループの新設旗艦ホテルを受注しました。嬉しさいっぱいでした。しかし私の値決めが失敗、1室当り30分が60分掛かる。更に銀座、新橋周辺では非常に人材募集が思うようにいかない。年商で約1億円の大型受注で、我々には必ず出来ると踏んで請け負いましたが、現段階では私たちの実力不足と事情を説明し、半年で引き上げました。先方の会社の期待を裏切ったことになります。社員からは「社長はいつもお客様を大切にと言っても、やることは違う」と反発。従来のお客様にもご迷惑をかけました。建築物の耐震偽装事件ではお客様のホテルが該当、営業中止で仕事がなくなったところもでてきました。転換期でしたね。社員を心から信頼し、もっと責任を持って任せていくべきだと思いました。本社スタッフの顔色が暗くなる毎日でした。「もっと謙虚になることだ。自分を低くすることだ。お前たちがしっかりやっていることが俺の誇りであり、そして社員が最大の誇りだ」この父の最後言葉が今も耳に残っています。忘れることはできません。

 母と兄弟4人、社員が創業者父の教えを守る
 生まれは昭和29年5月4日東京です。ここ本社所在地は埼玉に来て、最初の自宅兼クリーニング店だった発祥の場所です。
 父のクリーニング店開業は昭和23年12月、荒川区の尾久町です。
 その後(株)武蔵屋となり、昭和39年上尾工場の新設、埼玉県内での取次店拡大で東京を引き払いこの地に移って来ました。母が健在ですし、姉、私と弟、妹の4人兄弟です。父の教えを守って社長の3本柱が社員とお客様に支えられながら成長しております。銀座コージーコーナー様等、新日本セシオがマット、新日本ビルサービスが店舗清掃、武蔵屋がユニフォームレンタルと3社揃ってお引き立ていただいているところも沢山あります。
 結婚は35才の時でした。30過ぎた頃両親が心配してギネスブックに載るほど見合いをさせられました。親父が怒って「どんなのがいいのか?」と言うので「車寅次郎の妹のさくらみたいのがいいですね」と言ったら「今時そんなのいるか!」と怒鳴られました。JC先輩に紹介して頂いた縁で妻となる恭子と出会いこの女だなと一目惚れし、結婚しました。高校1年、中学1年の男の子に恵まれ将来に期待が出来るかなと考えています。仲人には父が1月1日に土屋義彦元参院議長宅に伺ってお願いしたそうです。土屋先生も元旦に来たんじゃ断れないなといって快諾してくださったそうです。

 人生の良き先輩との出会い 西野流呼吸法で気を養う
 土屋義彦前埼玉県知事、ファッションセンターしまむら藤原秀次郎会長、社会教育家の田中真澄先生、NHK出身の日高義樹先生など父が生前お世話になった方々との温かい交流が今も続いており、人生の先輩との有難い出会いに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。父の不撓不屈の精神、経営信条、感謝報恩十訓は脈々と受け継がれています。
 企業経営に気を抜くところはありませんね。唯一のストレス解消は西野流呼吸法です。80才の西野バレエ団・代表西野皓三先生が自ら教えています。週2回欠かさず渋谷のスタジオに足を運びます。約2時間の稽古ですが、気の交流で細胞が活性化され生きていることそのものが楽しいという生き方になります。3年間続いていますが、土曜日の帰りはこだわりの「居酒屋」へ行きます。趣味は読書と街歩きで美味しいお酒の店を見つけることです。
 動と静、思索に費やす時間を大切にするようになりました。父の気持ちを今にして深く思い、行動するよう努めております。
2006年8月15日
|カテゴリー|メディア掲載