№107 ヘルスケアフードを通じて すべての人に健康と福祉を!

さわやかインタビュー
ワタキューグループの社是である「心」を前に、立林社長、渡辺本部長を囲んで生涯青春! !

令和7年4月21日(月)
日清医療食品株式会社 代表取締役社長 立林 勝美 様                      
取締役営業本部長 渡辺 富士雄 様

生い立ちと日清医療食品様へ入社されるまで

立林社長 私は大阪とのほぼ県境にある京都の長岡京市というところで大学を卒業するまで過ごしました。学生時代は今の方々のように成長とかやりがいとか考えたこともなく、ただその日を大過なく過ごせればと思うような学生で、アルバイトに明け暮れていました。ダイハツや日産が家のすぐ近所にありましたので、時給が高かったこともあり、春休みや夏休み等の長期の休みには昼夜交代制で夜勤もしながら車のライン工をしていました。
 他には中華料理屋の裏方で皿洗いや盛り付けなんかをしていました。本当にお小遣い稼ぎにずっとアルバイトをしているような学生でした。
 稼いだお小遣いは知らない間に消えていたので、今思えばもう少しやりようがあったのではと後悔しています。
 そして、当時の就職活動は6月が解禁でしたから、4、5月になり食品会社を始め、いくつかの会社を回り始めました。そこで、地元京都に綿久寝具という会社があると知り、「取りあえず行ってみよう」という感じで行ったのですが、あっという間に採用となって、1984年に入社し、現在41年目です。
 当時はリネンサプライの会社である「綿久寝具」入社後、綿久寝具か日清医療食品のどちらかに「配属」というような形でした。
 私の場合は1984年の入社時から日清医療食品の配属となり、現在に至ります。

渡辺本部長 私は、埼玉県北葛飾郡庄和町の出身です。
 学生時代は社長と同じくアルバイト三昧でした。
 中学時代は3年間牛乳配達、高校時代は3年間休刊日以外は朝刊・夕刊の新聞配達で、土日は集金もしていました。だから、学校のみんなが掃除をしているときも夕刊を配るから先に帰ってきて、学校の掃除をしたことがないですね(笑)。
 今みたいに休刊日は多くありませんでしたが、配達の時にバイクに乗れることが面白かったです。
 高校を卒業した後は、東京や大阪で28歳までの10年ほど調理師として外食産業に勤めておりましたが、義父が勤めていたご縁もあってこちらの会社に1988年に給食要員として入社し、板橋区の精神病院に勤務していました。

入社当時の経営状況について

立林社長 私の入社当時、日清医療食品は給食をやっておらず、主に冷凍食品などの食品販売を病院向けに行っていました。当時は社員も100名足らずで、親会社と営業所が同居してましたが、お客様先が同じ病院だったこともあり、親会社も本業の寝具のリネンサプライヤーの仕事をしつつ、食品の販売も行っていました。
 設立が昭和47年で、私は昭和59年入社ですが、当初は全然売れず大赤字で、開店休業状態たったそうで、親会社があったため何とか持ちこたえているような状況だったようです。
 創業者は私の入社前の昭和56年に亡くなられたのでお会いしたことはありませんが、すごい方だったと聞いています。

 創業間もない頃は、グループ全体で経営状態が悪く、銀行から経理部長の方やなんかが銀行管理的に来ていました。管理されている間は発言権が無いので、その方々が17時で帰ると、そこから、社長を筆頭に当時の綿久本体の方々が朝まで飲み食いしながら会議をやったそうです。

創業者から受け継いだ良き社風

立林社長 創業者は、とても激しい方だったそうです。
 反面、優しい方でもあり、綿久のリネンサプライの洗濯工場には100人とか200人の社員さん、パートさんがいて、その工場が全国にいくつかあったのですが、パートさんまで全部名前を覚えていたという話を聞いています。
 商売に関してはとても厳しく、怖かったが、本当にフレンドリーな優しい一面をお持ちだったそうです。

関根 僕は立林社長、渡辺本部長が本当にオープンマインドでお出迎えくださり、そのあとに岩槻工場に行って園田センター長にお会い致しましたが、本当に温かく、相手の立場に立つ思いやりをものすごく感じました。こういう社風が創業者の方から受け継がれてきているんですね。

立林社長 そうですね。創業者は寝食忘れて休みもなく働かれ、病気になられてから医者にかかるのも遅く、気づいた時にはもう手遅れだったということで55歳で亡くなっていますが、外部の人間からするとあまり派手なことはされないというような感じは、創業家の方々もなお受け継いでおられると思います。
 ただ一時期会社的に無借金になり、業績もどんどん伸びていた二十数年前に親会社もわれわれも慢心し始め、不尊な態度を取る社員に危機感をもたれた現ワタキューホールディングス(株)安道会長がグループの基本方針という形を作りました。当初はその長い基本方針を朝礼で毎日唱和しろと言われたものの、なかなか実践できませでしたが、今一度創業者の原点に立ち返らなければいけないと作られたのがこの方針です。

関根 緑川さんたちは現場の中でそういう基本方針、感じましたか?

緑川 最初から感じました。今回やらせていただいた大規模リニューアルのような工事に対しても発注者と受注者という関係ではなく、チームで頑張ろうみたいな雰囲気を出してくれたので、とてもやりやすかったですね。

横山 工事後半の時に色々問題が出て悩みどころもありましたが、時間を作り本音で話し合う機会をくださったり、協力会社の立場も考慮していただき、全て解決の方向に向かうことができたのは、御社の基本方針どおりでしたね。

関根 園田センター長は一番最初はパートさんで入社されたとお聞きしました。
 あれだけ大きな工場のセンター長が会社としてちゃんと見出してそれだけの役職につけているのはすごいことですよね。園田センター長はそういう一つの良いモデルになりますね。

立林社長 レアケースではありますが、僕はむしろそういう社員がもっといてもいいかなと思います。当社は5万2千人の方に働いていただいていますが、スタッフ部門は1500人くらいで、残る5万人以上がいわゆる事業所勤務の方々ですので、もっとそういった方がいてもいいかなと思います。

提供するヘルスケアフードの価値、強みにについて

立林社長 病院などの医療関係、介護施設、障害者施設などの、いわゆる福祉と言われる分野が当社のお客様でして、そのほとんどが365日、朝昼夕のお食事を病院の中の施設で召し上がりますので、それらの施設から受託して、基本的にはその建物の中で調理をして食事を提供するということを主として行っています。岩槻(さいたま市岩槻区)の工場はある意味例外ですが、現時点においては少しずつ岩槻の工場を利用しながら、いわゆるセンター方式を増やしているというのが現状です。
 そして、われわれの提供価値が何かと言いますと、例えば医療一つ取ってみても、お医者さんとお薬や手術だけでは病気は治らないんだろうと思いますし、やはり食事というのは病気を治す上でも、人間が生きていくうえでも絶対不可欠なものです。
 われわれは、ものすごいことをするわけでも、できるわけでもありませんが、毎日毎食、安定した食事を提供し続けることに価値があるという風に思っています。
 いろいろミスもあってご迷惑をお掛けすることもありますけど、それがやはり一番の価値ではないかと思っていて、要するに、医療や看護、介護の本来の施設の目的を生かす上で、われわれが安定した食事を提供し続けることが、医師などの行為をより際立たせることができるのではと思っています。

関根 そうですよね。やっぱり人間は食べる楽しみがあって、おいしいということが大事ですよね。それを提供するというのは並大抵じゃないと思います。

立林社長 たとえ朝や昼にとんでもない料理を出したとしても、利用者は選べない上に、必ず夜は注文いただきます。それは単なるそろばん勘定でいけばありがたく素晴らしいビジネスなのかもしれませんが、会社としての弱点であるかなと思っています。
 そうなると、なかなか反省の度合いが弱いというか、鈍ってきますよね。
 そういう環境に身を置いてしまうと何とかしなくてはという風にはなかなか考えづらくなります。

渡辺本部長 創業者の絶対的な経営基盤を作る経営センスだと思います。
 普通の人ならその手前で諦めてしまうところを大きな赤字をしながらも耐えて耐えてやりきったところですね。その時のことが教育、研修用のDVDになっていますので、ぜひご覧ください。

セントラルキッチン拠点の全国展開について

立林社長 お客様の数を考えて最初にセントラルキッチンの大型化をしたのが亀岡(京都府)と栃木(栃木県)です。
 ただ、何が適正で、どれだけが適正なのか、どうシステムとして完成させるかはは走りながら手探りで考えているところです。
 今はまず、今ある工場で何を作り上げていくか、どう作り上げていくかというのかが先決かなと思っています。
 供給をしながら変えていかなければいけないというのは難しいことですし、例えば10 年後にお客様のニーズがどうなっているかにもよりますからね。
 当時は埼玉県内の大手の病院さんをメイン顧客とした代替厨房的な位置づけで始まったんです。24年前の岩槻が第一号になります。
 当時の経営者の方は、人手の問題というより、そういうスタイルが広がっていく想定をしていたのかもしれませんが、病院さんとしても厨房が無ければ、その分診療行為に病院のスペースを使えるわけです。
 患者さんの食事から得られる売り上げに比べたら、病院経営的には厨房ではなく診療スペースを使うほうがプラスなわけで、岩槻センターは最初はその要素が強かったと思います。
 だんだん人手の問題にセンターを持つ理由が変わってきたというのが現状なのですが、今その人手不足を解消できるめどはまだ立っていないという意味では走りながらという感じですね。

新日本ビルサービスの評価と期待すること

関根 ヘルスケアフードサービスセンター岩槻様の大規模修繕工事が無事に完了できたことは、園田センター長を始め現場スタッフの皆さまのご協力と、本社のご支援の賜物であり、厚く御礼申し上げます。今後も御社へお役立ちできるように、忌憚の無い評価と期待することをお聴かせください。

立林社長 一番は元気を分け与えていただいたということです。一度当社の新入社員への講演をやっていただいてもいいかなと思っています。

渡辺本部長 私も隅々まで拝見したわけでは無いのですが、本当によくやっていただいたとみんなが申しております。最終確認がまだ1点2点あるらしいのですが、コストパフォーマンスが高いという評価をみんなでさせていただいております。ありがとうございました。
 あとは一番最新の関東工場も10年、15年先にはどんどん劣化していきますので、それをメーカー推奨ではなくて計画修繕という形で効率的な管理ができればいいのかなと、おぼろげながら考えていますので、相談ができるとありがたいと思っています。

仕事と人生において大事な事をお聴かせください

立林社長 気の利いたことは言えませんが、「全体最適」かなと思います。今の立場で判断するとすればその一言で、ベストじゃないですけど、ベターかなと思います。一定期間の中では全体最適を選んだほうがうまくいく確率が高いかなとは思っていいます。


渡辺本部長 これといってないのですが、「お客様の信頼と満足を得る、心のこもった食事サービスを提供する。」というフレーズが気に入っています。私も今までたくさんの失敗をしてきましたけど、そんな時や迷った時はこのフレーズに合っているかどうかを考えていました。今でもそうかもしれません。今は言わなくなっているのも残念ですが、私の心の中には15年ほどありますね。社員面談でもよく使っていました。

2030ビジョンの実現に向けて

立林社長 われわれにとって主役はお医者さんや看護師さんであり、介護士さんなのですが、そういった方々が光輝くためには食事という支えが絶対必要不可欠なものなので、なんとしても守りたい。人間が食べずに生きることには多分ならないだろうと。
 もしかしたらサプリメントが中心になる世界はあながち空想でもないかなと思いますが、最後に残りたいなと。世の中サプリメントがメインになったとしても、最後まで食事を提供する会社でいたいなとは思っています。

渡辺本部長 私は先ほどのあのフレーズを実現したいですね。
 それから、弊社の主体的な従業員5万人は調理場という現場にいるわけですが、この方々の待遇を改善したい。要するにお給料を上げたいです。単純明快にそれが一番の私の夢ですね。

 それがお客様の信頼と満足を得る、心のこもった食事サービスに直結すると思うんですね。栄養士たちも結構責任感ありますから。


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