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佐藤栄太郎理事長の思い出話に花が咲きます。田中理事長と藤井教頭先生の お二人の笑顔が、その求心力を物語っています

№90 「『人 間 是 宝 』『 今 日 学 べ 』  私学の理想とする学校のかたち」

令和3年2月6日(土)

学校法人 佐藤栄学園
理事長 田中 淳子 様

 「公立王国」「芋は育つが私学は育たない」と言われるほど名門県立高校が軒を連ねる埼玉県──この地に、佐藤栄学園はグループ9校を擁立する全国屈指の教育学園として発展を遂げられました。
 相撲界の優勝者を輩出している埼玉栄高等学校、甲子園優勝の花咲徳栄高等学校、東大をはじめ名だたる大学への進学率が特出している栄東高等学校と、まさに文武両道の学園グループです。今回のさわやかインタビューでは、初代理事長・佐藤栄太郎先生のご遺志を継いで、2020年に理事長に就任された田中淳子先生に、佐藤栄学園の原動力について伺いました。

日本再興の時代──教師とは全くの別世界にいた青年期

 私が学生の頃は、日本がこれから高度成長期を迎えようとしている時代でした。教職免許はありましたが、教師になる気は全くなく、最初の就職先はある商社でした。それが今となっては教育の道が面白くて仕方がないので、人生何があるかわかりません。
 入社してからしばらくすると、大学の恩師から試験を受けるように勧められ、世銀で勤めるようになりました。ルーマニアやブルガリアといった共産圏で過ごしたときがありました。
 特に記憶に残っているのはルーマニアです。日本ではありふれていた100円のボールペンやライターを見て「魔法の国から来たの?」と言われるほど、物質的には貧しい国でしたが、私は現地の人から“ミス東芝”と呼ばれるなど心は豊かな国でした。町全体からハーブの匂いがして、ホテルの調度品や刺繍は古代エジプトの調達品のように絢爛豪華で、子どもたちはとても明るくてかわいかったです。ただ、社会情勢は不安定でした。再度ルーマニアに行ったときは一党独裁のチャウシェスク政権の時代で、ダムと川の要塞で子どもの写真を撮っていたらスパイの容疑をかけられました。

田中淳子先生とルーマニアの中学生たちとの 授業後の挨拶のようす

 日本が世銀から融資を受けて名神高速道路を造っていた頃、私は世銀のアルバート・ラブの秘書をしていました。そういった激動と成長の時代の最先端にいたので、毎日が刺激的で、時代が変わっていくワクワク感がありました。
 ある日新聞社の取材のためにヘリコプターに同乗していた時、乗っていたヘリコプターが墜落し、その衝撃で脊椎分離症になってしまい、入院することになりました。

思いもよらなかった教師の道へ──初代理事長・佐藤栄太郎先生との出会い

 入院中、当時の京都市教育委員会で「臨時教職員をやらないか」と言われたのがきっかけで、臨採の教師になりました。学生時代は通訳のアルバイトをしていましたので、教員採用試験を受けて英語の教師になりました。京都市内の僻地にある公立小、中、高校での勤務でしたが、やっているうちにもうどんどん面白くなってしまい……学生の頃は思いもよらなかった教師の道に進むことになったのです。
 そう経たないうちに、NHKサービスセンターで『おかあさんといっしょ』、『ウオッシングマシン』の英語の歌の作詞をやったり、文英堂の『シグマベスト』、NHKエンタープライズの英語のカセットテープ『英語リスニング』を作ったり、NHKの番組『21世紀の群像』で生徒と一緒にビートルズ特集に出演したりと、学校の枠にとどまらず、日々の面白さが原動力になっていきました。
 教師としての始まりの地は京都でしたが、静岡、埼玉などで定年を迎えるまで、公立の小中高で英語の教師として教鞭をとったり、教育委員会の指導課長や校長、県の「青年の家」の所長をさせていただきました。
 そのような中で佐藤栄学園の創設者であり初代理事長である佐藤栄太郎理事長と巡り合いました。理事長が苦手としていた英語が私の得意分野だったこともあり、理事長より佐藤栄学園にお誘いいただいて、それから22年もの月日が経ち、ずっと英語の教師として仕事を続けています。今日英語の授業ができるのも佐藤栄太郎理事長のおかげで、感謝しきれません。

佐藤栄学園創設者 故・佐藤栄太郎理事長の想い

 佐藤栄太郎理事長は、若い頃はお父様が営んでいた自動車修理工場で働いていたのですが、時代の風を読んだお母様の「技術者を養成しなさい」という命でできた埼玉自動車整備技術学校(現・埼玉自動車大学校)で、教職に就いていました。そして次に、専門学校だけではなく、一条校の学校を作りなさいと言われて動き、「学校法人佐藤栄学園」が認可され、作られたのが埼玉栄高等学校です。これが1972年のことで、佐藤栄太郎先生は理事長に就任されました。
 就任から5年もかけて「建学の精神」として定められた『人間是宝』という教育使命を定めました。『人間是宝』とは、人は一人ひとりが宝の原石であり、その原石を磨き上げて宝とするために教育はあるのだということを定義づけたものです。
 また、これを実践する上での心構えとして、『今日学べ』という校訓を定めました。これは自分に甘えることなく、今日という時間を有効に使って、真剣に物事を取り組み、有意義な学校生活を送ることが、将来の指針につながっていくことになる、という理事長の想いが込められています。

建学の精神「人間是宝」は、人は一 人ひとりが宝石の原石であり、その原 石を磨き上げて文字どおりの「宝」と するために教育はあるということです。  天然資源に恵まれないわが国にあっ ては、人こそ生きた資本資産であると とらえ、内在する可能性を拓き、常に 創造する心と知性を育てて、人間性豊 かな徳操を養い、広く世界文化経済発 展の先駆者として自覚をもち平和社会 奉仕に励みこれを実践することを使命 としております。  校訓「今日学べ」は、これを実践す る上での心構えであります。自分に甘 えることなく、常に自分自身に挑戦し ていくことで「感動」が生まれ、それ が「創造」へと結びついていきます。

 埼玉栄高校の次に1978年の栄東高校、1982年の花咲徳栄高校、1988年に埼玉短期大学、1992年に栄東中学校、1994年に日本美術専門学校と埼玉栄北高等専修学校、1995年に平成国際大学、2000年に栄北高校と埼玉栄中学校、2003年にさとえ学園小学校と大宮法科大学院と、理事長は次々に学校を作り、創設者の佐藤栄太郎先生は、佐藤栄学園の理事長であり、かつ全ての小学校、中学校、高等学校の校長でもありました。
 当初「公立王国」、「芋は育つが私学は育たない」と言われていた埼玉県で生徒を集めるため、理事長は学習塾を回るなど生徒の募集活動にも苦労されました。栄東高校は、創設当初の生徒の人数がたったの27名で、教師の方が多かったというのは今でも語り継がれています。
 理事長は各々の学校を特色をもつ学校へと特化させていかれました。埼玉栄高校は文武両道で「日本一の努力をしよう」と学問は勿論、部活動にも力を入れ、栄東高校は進学を、花咲徳栄高校は情操教育と専門分野の食育科を作って、栄北高校は、周りの4校の公立中学に支えられる高校だからこそ、地域に根ざした情操教育をしながら大学進学を目指しました。
 同じような学校をたくさん作るのではなくて、最初からコンセプトを分けて開校していった──これはすごい采配だったと思います。どこも似たような学校だったら競合して、すべて潰れていてもおかしくなかったはずですから。そして、それでいてすべての学校で『建学の精神──人間是宝』と『校訓──今日学べ』を教師と生徒双方に浸透させ、学園共通のDNAとして残したことも、今の佐藤栄学園の礎となっていると思います。
 そして、それぞれの学校に合わせた教師の配置も、すごい手腕でした。教師だけで1000人の規模です。素晴らしいことです。
 埼玉栄高校では、貴景勝や大栄翔をはじめ30名を超える大相撲力士の輩出が有名になっていますが、相撲部の山田監督はすごいと思います。ご自身も相撲をやっておられたのですが、埼玉栄高校には「子どもを力士に育てていきたい」ということで入職されています。入職当時の相撲部はほとんど活動していなかったのに、そこから30年かけて徹底的に指導され、奥様と一緒に健康管理や栄養管理を徹底して、科学的な視点も持ちながら、着実に結果を出していらっしゃる。佐藤栄学園で部活動の監督をやるという人たちは、山田監督に限らず「全国優勝」を目標に掲げて強い覚悟を持っています。花咲徳栄高校を甲子園優勝へ導いた野球部の岩井監督もそうです。2020年には、1年生の時から主軸打者を勤めていた井上朋也君がその実力を高く評価され、プロ野球・福岡ソフトバンクホークスのドラフト1位指名を受けました。プロ入り後の活躍が楽しみです。

第99回全国高校野球選手権で初戦から全6試合2桁安打の猛攻で、 埼玉県勢初優勝となりました! !

 文武両道の「文」の方で言えば栄東高校ですが、ここは埼玉栄高校の次、学園で二番目にできた学校ということもあり、教師の異動には紆余曲折があったようです。これまで埼玉栄高校に尽くしてきた教師が、ある日突然、生まれたばかりの無名の高校に異動を言い渡されるのです。最初はやる気を失っていた教師もいたようですが、結局は理事長の思う適材適所の配置だったと聞いています。「栄東を豊かな人間性とすばらしい進学校に」と燃えた教師が多くいて、今の栄東高校があります。埼玉栄高校の情報科を廃止した時にも、栄東に異動になった教師がいましたが、同じように燃えていました。理事長が佐藤栄学園各校で仕事をした教師を異動させたことで、今の栄東高校があるのです。
 これだけ短いスパンで拡大していった学園ですが、時代の要請に合わせて作った学校が、時代の要請に合わせて廃校になった例もあります。埼玉短期大学、日本美術専門学校、大宮法科大学院です。それも廃校の決断がとにかく早かったです。佐藤栄太郎理事長は、時代を見る力が天才的だったと思います。

佐藤栄太郎理事長の破天荒さと求心力に支えられた学園

 理事長は、教育者でありながら、経営者でもあり、そして書道や彫刻に真剣に取り組まれていた芸術家でもありました。芸術家としての能力もすごく、何回も日展で入選されたり、今でも台湾の淡江大学や、中部国際空港セントレアに作品が飾られています。校舎の建築デザインも手掛けてしまうのですから、本当に天才的です。
 朝4時ごろから芸術に打ち込んで、7時半には学校に来て、仕事を終えて家に帰ったら質素な食材を食べられていても、エネルギーは相当なものでした。
 このエネルギーは経営にも向けられていて、特徴的だったのが『言ったらすぐその日に行動して走り出す』ということを徹底していた点です。
 例えば、栄東高校は、初めは英数国の3教科のいわゆる私立型で公立高校に挑んで、早慶上理の合格者を出す学校でしたが、しばらくして5教科7科目の医学部・国公立型に教育カリキュラムをシフトしていかれました。カリキュラムを変えるのは、ものすごく重要なことですが、理事長が「すぐやれ」と言ったら、それはもう早かったのです。
 そういうことが日常茶飯事でした。「業務命令ならやるしかない」そう先生たちに思わせる力を持っていました。ね、藤井先生?

藤井教頭 はい、よく冗談で話していました「はいか、イエスか」って。言い訳を言う暇もなかったほどです。もう今の時代ならパワハラですよ。教師を名前で呼んだりせず、誰であっても「おい」って。だから、理事長の「おい」が聞こえると教師みんなで一斉に振り向いたり(笑)。

 そうそう。パワハラのお手本みたいな人だったわよね(笑)。10のうち9はぼろくそ言うんですけどね、そのうち1はすごく沁みるようなことを仰る。そのあたりの力加減も絶妙なんですよね。それが慣れてくると、その9の方の掛け合いだって面白く感じるくらい、不思議な魅力を持っている人でした。

藤井教頭 周りの色々な先生とお話をしていると「栄太郎理事長のためだったら一生懸命やろう」と思われた方が多かったと感じます。我々も例に漏れずですが。『意気に感ずる』とか、よく言われていましたね。

 本当、子どもたちを育てようという志は本物。子どもたちには「栄ちゃん」と呼ばれて慕われていたくらい、その愛情は生徒に伝わっていました。だから、私たちはみんな理事長についていった。そうやって、トップの求心力で成り立っていった学園なんです。
 そんな彼は2008年にこの世を去りましたが、心残りだったろうなと思うのは、栄東高校の躍進を見届けずに亡くなったことです。彼が存命だったころは、まだ東大進学が年に2~3名とか、それくらいの進学状況だったと思います。でも亡くなってたった3か月後には東大進学が11名出たんです。今では東大進学27名に加えて医学部が50名超、早慶が170名超と、理事長が生きていたら喜んでくださったと常々思います。とても残念です。

将来の子どもたちのための学園改革

 今回のコロナ禍の中では、佐藤栄学園はいち早くリモートの授業を取り入れることを決めました。若い先生たちは慣れたものでどんどん先に行ってしまうから、私たちのような世代は若い先生に教えていただくのが大変でした。学校の教育活動を止めることはできないので、全教科領域でオンライン授業を最速で実施しました。特に保健体育、技術、家庭、芸術などの教科は、オンラインリモート授業が大変だったと思います。
 早く動くためには、ICTの活用と、学園本部から各校長への権限委譲の2つが今のこの学園には重要だと私は思っています。初代理事長はその性格もあってずっとご自身ですべての経営的決断を下してきました。私たちは時代が要請する豊かな人間形成と確かな学力形成へとスピード感をもって前進
したいと願っています。

東大をはじめ名だたる大学への進学率が特出している栄東高等学校。「人間是宝」 「今日学べ」の教育理念が浸透し、アクティブラーニングの導入など課題解決を楽 しむ校風と自ら考え行動する自主性が育まれています

 学習内容を教えるだけでは、日本は世界と戦っていけません。高校生は高校生の勉強、小学生は小学生の勉強……では育たないんです。教科横断的に子どもたちの思考力、判断力、表現力をつける教育活動を、私たち教師は生徒とスクラムを組んで授業を展開していかねばならないと思っています。
 佐藤栄学園ではそれを「アクティブラーニング」と呼んで、生徒たちをどんどん学校の枠組みを越えて、小学生にはキッザニアに行く生徒もいれば、中学3年生には日本で史上最年少の15歳で『行政書士』の国家試験に合格した生徒もいます。高校生なら模擬国連に参加したり、企業と組んで横断的にアクティブラーニングを進めていく生徒や、得意分野を突出させて栄東高校を卒業し早稲田大学で、今現在学生テレビキャスターとして活躍したり、サメの研究や貝殻の研究をして学会に出て行ったりしている生徒が何人もいます。
 とんがっている子が多くてすごく面白いんです。子どもなのに偉いな、と常々思います。例えば、中学1年生の英語の授業で「ジャッカルがはじめて人間を見たとき」という英語の教科書『TREASURE』の一説の中での生徒と教師のやり取りを英語でしました。この話は、自分が一番強いと思っているジャッカルに捕まったシカが、殺されまいと人間とジャッカルの対決をそそのかすんです。それに乗ったジャッカルは、人間に銃で撃たれて死に、シカは狙い通り逃げることができたという話です。中学1年生の授業で、生徒が教師に向かって言うんです。「What is the man?──人間とは何ぞや」って。これだけでもすごいでしょう?でも、ここからがすごかったです。生徒の質問にある教師は、パスカルのパンセの一節を引用して、「人間は考える葦である。葦のようにか弱い人間だけど、人間には思考力と判断力がある。それが人間なんだ」と英語で答えました。そのときその生徒は何と言ったと思いますか?「本を読めばわかる答えを、ぼくは要求していません。そんな答えを要求していません。」って。要は、教科書やインターネットに書いてあることは自分で勉強するから、「先生自身が考えることを、先生自身の言葉で聞きたかったのに」と中学1年の生徒が教師に言ったのです。
 そういう生徒が、佐藤栄学園を好んで選び、集まってきてくれればうれしいです。この学園は面白いです。生徒は教師を教師とも思わず、自分の考えが発案できる生徒は偉い。

生徒一人ひとりの『居がい』のある学校づくりが使命

 前述の行政書士に史上最年少で合格した中学3年の生徒は、実はお父さんから「進学先は開成高校にしなさい」と言われていました。けれどもその子は、栄東高校が大好きだから行きたくないと言って、お父さんと大喧嘩になってしまったらしいんですね。そこでお母さんが「行政書士試験に合格したら栄東高校に進学しても良い」と課題を出したのです。中学3年生が、学校の勉強に加えてこれまで同年代で合格者のいない難関試験に史上最年少で挑戦する──私は「偉いな」と思いました。見事に15 歳という史上最年少で合格したのです。
 彼と同じように、この学校が好きだからと、様々な負荷を押しのけて通学している生徒がたくさんいます。最も多いのは、通学時間という負荷です。朝の3時半に起き、神奈川の「辻堂」から通学している生徒もいますし、しょっちゅう電車が遅延する千葉の「八街」方面から通学している生徒もいます。埼玉県西部のかなり奥地にある「明覚」という無人駅から2時間半かけて通学しているのにこれまで遅刻ゼロ、という生徒もいます。毎日が遠足です。親はもちろん、そんな遠い学校に通うのは反対です。「もっと近い学校にすればいいのに」って、これは子を想う親の心理ならば当然です。
 それでも彼らが佐藤栄学園に来るということは、何かがこの学校にあるんでしょう。変わった教師がいるからなのか、友達なのか、入部した部活動なのかは人それぞれでしょうけれども。でもそれで自分の意志で子たちが集まってくる。私はそれに心底子供たちに感謝しています。そういう面では、生徒も、彼らに接する私たちも生き物だから、そこまで好いてくれるのならばと、さらに熱意を燃やす先生がいます。私たちが彼らの努力と想いに見合う教育を「付加価値を付けてお返しをしたい」という想いで、毎日生徒とともに過ごしています。
 設立当時は佐藤栄太郎理事長の求心力で成り立っていた佐藤栄学園ですが、今はまさに生徒の力と親が後押しをしてくれる「あたたかさ」と先生たちの熱意で、現在の佐藤栄学園はあるのです。私たちも、子どもたちに負けていられないのです。
 先ほどは「時代に合わせて学園も成長していく」という話をしましたが、反対にどんな時代になっても変わらない「不易」の側面があります。それは、教育というものは、生徒の可能性を引き出して、生徒と一緒に歩む以外に方法がないということです。『居がい』──この学校に来てよかった、この学校で過ごせてよかったと、そんな『居がい』をどれだけ生徒に感じてもらう生徒一人ひとりの『居がい』のある学校づくりが使命かが私たちの使命ですし、そうして居がいを感じてくれた生徒と一緒に、寄り添って教育活動を進めていきたいのです。

新日本ビルサービスの評価と期待すること

 これは、藤井先生にお願いしようかしら。

藤井教頭 色々とやっていただいて、もう6、7年のお付き合いになりますね。当初は、まったくの偶然からスタートした関係でした。どこの会社に頼もうか探している時「地域の中で経済を回した方がいいんじゃないか」という意見があったんです。それで調べてみると「すぐそこにビルメンテナンス会社があるじゃないか!」と、新日本ビルサービスさんを見つけたのです。
 偶然は重なるもので、営業担当で来てくださった加藤さんとお話をするうちに、彼が埼玉栄出身だと分かって、時期的に恐らく僕も彼に教えていて─
─いやもう、すごいご縁だな、と思いましたね。
 新日本ビルサービスさんはすごく誠実に仕事をしていただけるので、安心してお任せできると思っています。また、そうやって基礎をしっかりやっておられる会社でありながら、新しいことを色々と工夫されている点も、いいな、と思っています。加藤さんは新しいサービスができるたびに紹介してくださるのですが、申し訳ないことにほとんど却下してしまうんですけどね(笑)。ですが、工夫されている姿勢が見て取れると、お取引を継続する上での安心感につながりますね。

 藤井先生がいなかったら、ホームページがなかったら、本社が東大宮じゃなかったら、今のようなご縁はなかったかもしれない。本当に一期一会ですね。人と人とのつながりって不思議なものですよね。そうやって得たつながりを、誠実さで大事に育てている会社さんなのでしょうね。
 私は佐藤栄太郎理事長が遺した建学の精神『人間是宝』にあるとおり、子どもこそが将来の宝だと思っています。佐藤栄学園で自分の原石を磨いて巣立っていった子どもたちが、その輝く宝をもって社会に貢献する──そのためならば、私たちは捨て石になったっていいという覚悟でやっています。
 その将来の宝を育む教育の場にふさわしい環境づくりに、引き続きご協力ください。それが生徒の居がいの醸成の一助になることを期待しています。今後ともよろしくお願いいたします。

佐藤栄太郎先生の作品と田中淳子理事長、藤井聡教頭を囲んで『生涯青春!』  佐藤栄学園グループの建学の精神「人間是宝」「今日学べ」を共有し、清潔で快適な学園環境を共に創り上げてまいります! !

2021年8月30日
|カテゴリー|さわやかインタビュー