新日本ビルサービス株式会社

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さいたまグラフ創刊30周年記念
埼玉の100人(経済編)

発行:NPO法人 サイシップ 2003年12月20日


業界の常識や世間相場への疑問から新たな環境サービスのスタイルを追求

 生家は東京の下町で創業したクリーニングの武蔵屋。幼い頃から父の後を継ぐ空気は家庭の中にあったが、大学卒業後はイトーヨーカドーに入社し、食料品の担当者として商売の基礎を学んだ。商人気質な性格からか、同期の中で売場チーフになったのも一番だった。「客」ではなく「お客様」という考え方を根本に持っていなければいけないということは、この頃に学んだ。
 家業を手伝ってほしいと言われ退社。一九八一年に、クリーニングから幅を広げて清掃用品のレンタル業を営んでいた新日本セシオに入社する。新設の栃木支店を二年ほどで立ち上げて本社に戻り、父と二人三脚で仕事を増やしいくことになる。
 「父子で仕事をしていると普通より意見が激しくぶつかり合うことが多いですから難しさもありました。」と関根は語るが、そうした切磋琢磨が会社を良い方法へ向わせたことも創造に難くない。業績は着実に拡大し、直営支店、代理店ともに仕事がどんどん増えていった。
 やがて、お客様からビルメンテナンスの依頼も声がかかるようになった。更に需要が高まると判断した関根は、一九九三年、新日本ビルサービスを設立。ゼロからのスタートで苦労の連続だったが、根本に業界の常識や世間相場への疑問を持つ発想で作られたシステムと料金体系が、徐々にユーザーに受け入れられていった。
 洗浄システムを米国から持ち込んだり、清掃技術向上のためのシュミレーションも怠らない。また、パートという呼び方を嫌い「さわやか社員」と呼称したり、社長自らの考え方を皆に伝える努力をするなど、独自の姿勢で現場との密接な関係を築いている。関根は、単なる経験則ではなく、綿密なデータから建物診断を行い、最高の環境サービスを目指し尽力しているのだ。
 大学時代の夢は飲食店経営。「くつろげる場所で、恋人同士や家族の会話が楽しく幸せそうにしている姿を観るのが大好きなんです。」しっかり今の仕事にも通じている。
2003年12月20日
|カテゴリー|メディア掲載