新日本ビルサービス株式会社

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埼玉を演出する人たち

発行:埼玉情報社 2012年1月30日(P90~93より引用)


「生涯青春!高齢者の雇用創出に使命感を燃やす」

ビルメンよりも教育業

 新日本グループは、グループの創立会社でクリーニング・ユニフォームレンタルを手掛ける武蔵屋、クリーンレンタルサービスの新日本セシオ、ビルメンテンスを行う新日本ビルサービスの3社で構成されている。新日本ビルサービスは関根一成が父親と息子との葛藤の中で、平成5年5月に創業した会社。立派に会社を軌道に乗せた今、父は事業拡大を自分に託したのだなと感じている。父の気持ちを深く思い、行動していく決心だ。

父と衝突、「自分でやってみろ!」で新日本ビルサービスを創業

 関根が大学を卒業して初めての修業先はイトーヨーカ堂。精肉売り場のチーフになり将来は外食産業のレストラン経営を夢見ていた。仕事が面白くなったところで父に呼び戻され、新日本セシオに関係のあるトーカイに修業に行った。オフィスや店舗の各種クリーン商品を扱うリースキンチェーンを経営しており、その本部の岐阜で工場、営業、社長の運転手、秘書など幅広い職種を経験、小野木社長に1年間仕えた。
 1年後、いきなり新日本セシオ栃木支店の設立を命じられた。新日本セシオはリースキンの首都圏本部という立ち位置にあったことによるもの。そこは事務所があるだけ。リースキンの代理店募集と直販拡大が仕事。飛び込み営業を行う毎日だった。2年後本社に戻っても営業で駆けずり回っていた。当時、大宮青年会議所に入っていたので、毎晩の飲み歩き。自分なりには一所懸命なのに、父とはぶつかってばかり。ある時「そんな生意気なことを言うのなら自分でやってみろ」との父の一言で誕生したのが「新日本ビルサービス」。39歳の時、平成5年5月だった。今になって考えると新日本ビルサービスは父なりの事業拡大の夢を私に託したのだと思う。創業者の自分を越してみろとの思いで。

人が財産、大失敗を乗り越えて成長

 新日本ビルサービスの資本金2000万円は10ヵ月ほどで使い切り、初めて資金繰りの厳しさを体験した。それでも必死の営業努力で初年度から少しずつではあるが利益を計上した。業績躍進の原動力となったのは「さわやか社員」と称しているパート社員。その社員研修には大きな力を割いているが、それが働くことの動機づけになっている。関根は人が財産と思っている。「さわやか社員」は平成5年第一期の70名が最近では1400人を超えている。そして「さわやか社員」の定年制を廃止した。そのため平均年齢は58歳(最高は82歳)と高いが、働くことに感謝してくれている。それが会社の志気を高める結果になっている。
 「好事魔多し」。事業では大失敗も経験した。大手不動産グループの東京銀座の新設旗艦ホテルの大型商談を見事に受注した。しかし、銀座、新橋周辺では人材募集が思うにまかせず、採算割れに見舞われ、半年での撤退を余儀なくされた。しかし、逆境はかえって本社スタッフと「さわやか社員」の心をひとつにし、誠心誠意の仕事につながり、多くのお客様との信頼と絆が深まり、危機を乗り越えた。

家族、社員が最大の誇り。父の言葉を忘れない

 関根が新日本ビルサービスで「さわやか社員」の定年制を廃止したのは高齢者の雇用を創出するため。高齢者は人生経験が豊富だし、色々な知恵を持っている。それにも関わらず働く場所がないというのが現状だ。だから、関根は働きたいというシニアに雇用を提供することは使命と思っている。当面の目標は老壮青三世代が揃った「さわやか社員」3000名の雇用創出である。日々の企業経営においては気を抜くことはできない。その唯一のストレス解消法が西野バレエ団・代表の西野晧三が提唱する西野式呼吸法。気の交流で細胞が活性化され、生きていることの楽しさを実感する。動と静、思索に費やす時間を大切にするようなってきた。父の最後の言葉。「もっと謙虚になることだ。自分を低くすること。お前達が誇りであり、そして社員が最大の誇りだ」。それが今も耳に残る。新日本グループは父・関根直幹の夢とビジョンであった「日本一の環境サービス企業」実現へ向けて全社一丸となっての挑戦が続く。
2012年1月30日
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