№93 「メンテナンスを科学する」

生涯青春 インタビュー
鈴木社長の、生い立ちからメンテナンスを科学する会社のお話を伺いました

令和3年11月4日(木)

株式会社リンレイ
代表取締役社長 鈴木 信也 様

鈴木社長の生い立ちと、今に至るまでのご経歴

 リンレイの創業者を祖父に持ち、父もそれを継ぎ……という経営者一家に生まれました。子どものころは興味のままに生きていて、それが良い方にも悪い方にも作用しましたね。良い方では、小学校の自由研究で蜘蛛の標本を何種類も作って県から賞をいただいたり、陸上部で県の新記録を出したり、高校の頃にはコンサートの企画運営会社に入り込んで、コンサートやライブの企画運営に携わらせてもらったり、その傍らで野球部とラグビー部を掛け持ちして、ラグビーでは県大会で優勝できたり。
 反対に悪い方は極端で、小学生の頃に近くの海の浜に置いてあった漁船に友人ともぐりこんで横になっていたらいつの間にか眠ってしまい、潮が満ちて帰れなくなってちょっとしたニュースになったり、高校生の頃、市議会議員選挙があった時期に先生の写真をそれっぽく編集して実際の選挙看板に貼り付けて、大変なお叱りを受けたり。本当に色々なことをやらかしていた子ども時代でしたが、不思議なことに両親は一言も心配の言葉を口にすることはありませんでした。勉強しろとも、○○するな、とも、何も言わずに育ててくれましたね。
 大学を出て就職をする段でも、リンレイではなくマスコミ業界や広告業界に興味があると父に話したら「自由にしなさい」と言ってくれました。それから新卒で博報堂に入社して、9年ほど広告業界を経験しました。担当していたのは大手食品メーカーで、一般消費者向けの商品広告を考えていました。激務の中で、時間管理の大切さ、仕事の質を追求することの大切さ、目的に目を向けることの必要性、利益を出すとはどういうことか、データはどう読み込むべきか、その数字だけに頼らずに、肌で感じるトレンドも必要だからこそアンテナを張っておく必要があるなど、多くのことを学びました。こういうことは、いくら本を読んでも本当の意味で理解することはできません。肌で、頭で、実際に感じていくことでわかっていくものなので、若いうちからこの経験ができたことはとてもありがたかったと思います。
 博報堂で働く中でも、やはりリンレイに入る気持ちはまったく生じず、社内でのキャリアアップを目指していました。かねてより希望していた転勤が叶いそうになったのが30歳の時です。九州支社への転勤を打診されたことを父に報告すると、転勤の期間を訊かれました。「5年から15年くらいですかね」と答えると、一言「それはまずいな」と。理由を聞いてみると、実は父は肝炎を患っていて、そろそろ跡を継ぐことを視野にいれてほしいという話だったのです。そこから、当時の役員たちからの怒涛の説得が始まりました。会社まで訪ねてきたり、父のお見舞いに行けば待合室で説得されたり、その勢いはなかなかのものでした。一方、母はこれまでは自由にやらせてくれていたのに、珍しく大反対でしたね。父と祖父も同じようにリンレイの経営に携わっていましたが、やはり衝突するんですよね。それを間近で見ていた母はつらかったのでしょう。
 しかし私は、最終的にこのオファーを了承しました。なぜかというと、広告代理店は人様の商品を売るのが仕事で、売れなくても責任を取ることができない──私はその事実にいま一つ納得できていなかったのです。それがリンレイであれば、自分たちで考えて作ったものを売るという、完全に自己責任の世界です。これは経験してみてもいいかもしれないと思い、足を踏み入れたのがきっかけでした。

リンレイ入社後の社内改革

 リンレイに入社して最も驚いたのが、父による強烈なトップダウン体制が敷かれていたことでした。特に強烈だったのは財務で、昔の一族経営の会社にはありがちでしたが、本当の利益を知る者は社長以外にもう一人のみ、という状態でした。これは変えていかなければと強く思いましたね。しかし、改革していくにはまず、自分の力を父に示していくしかありませんでした。
 入社後、私は全社の企画部門を任されました。当時のリンレイの中心は、ビルメンテナンス業界向けの業務用品の部署でした。役員は全員業務用の部署出身で、家庭用品や自動車用品出身の者は一人もおらず、業務用品以外の部署は反主流派だという空気がありました。私は、当時赤字だった家庭用・自動車用品にも絶対に売れるポテンシャルがあるという確信があり、その分野に注力しました。博報堂で一般消費者向けの広告を担当してきたため、そのノウハウを活かしていきたいのですが、日陰の部署、財務は父が握っているという状況で、お金をポスター1枚にも自由には使えませんでした。
 そのため、まずは現状を分析するところから始めました。そもそもリンレイは、家庭用品で大きくなった会社です。ビルがほとんど建っていない時代に、一般のご家庭が畳から板の間での生活に変遷したのに合わせて、家庭用ワックスが売れるようになった時代があったためです。しかし、私が入社したときは、家庭用ワックスの売上が年間で7%ずつ落ちていっていました。そこで販売経路をたどってみると、家庭用のワックスなのに、塗料の問屋を通してホームセンターに納品していたようです。ホームセンターでは問屋が受け持っているコーナーに並ぶので、必然的に当社の家庭用ワックスが塗料コーナーに陳列されている状態。これでは一般消費者に商品を見てもらうことすらままなりません。そのため、まずは商品を住宅用洗剤のコーナーに置いてもらうために、住宅用洗剤を作ることで、その方面の問屋さんとのパイプを作るところから始めました。
 また当時、家で油料理をする人が減っていっているというデータが出ていました。これは女性の有職率が増え、油料理の後始末が大変でやりたくないということの現れです。その世間のお困りごとに合わせるように、油汚れ用の洗剤を売り出すことにしました。液体タイプとウェットティッシュタイプの2種類に加え、もう一つ工夫を凝らしました。それが、油凝固剤です。これについては自社開発ではなく、既存の材料メーカーから仕入れさせていただいたのですが、油凝固剤を加えることで「油固めてあとしまつ」という形で3品同時展開ができました。また、キャンペーンでも、ただの商品紹介ではなく、油料理レシピの小冊子をつけるという工夫をしました。「これで心置きなく油料理が作れますよ」という消費者への提案です。この施策が響いて問屋が受け入れてくれて、ヨーカドーやダイエーなどの小売店にも並ぶようになり、住宅用洗剤のリンレイとしての流通経路と、新たな主戦場を得ることができました。
 そして家庭用ワックスを売り出そうと、様々なことを試みたのですが、現代の一般家庭でワックスを塗るイメージがなかなか思い浮かばないことからもわかる通り、残念ながら市場が広がりませんでした。
 それでも、得られた成果は十分なものでした。入社から5年間で、家庭用品・自動車用品の赤字を解消し、それぞれ30 億円の売上を達成したのですから。この勢いで業務用品の分野にも手を広げました。ここではまず人材の確保に取り組みました。様々な特徴を持つエリアを任せられる人材や、本部でマーケティングを任せられる人材です。利益が残らなくなるのではないかという危惧の声が上がりましたが、父に「先行投資だと思ってください」と根回しをして進めていきました。こうした改革を進めていくうちに、今や既存の社員は45%ほどになり、他はすべて私が入社してから新しく採用した人たちになりましたね。
 その上で、営業ターゲットを大きく変えました。私が入社したころは、一般のオフィスビルはワックスの大きなマーケットとは言えない状態でした。それよりも、スーパーマーケットやコンビニ、ホームセンターといったチェーン展開している小売店が主戦場になっていた時代です。しかし、お恥ずかしいことに、当時のリンレイは、オフィスビルに強いビルメンテナンス会社さんにばかり出入りしていました。なぜかというと、それで十分儲かっていたからです。どういうことかと言うと、その頃のリンレイは家電やマットのような雑品類も今より幅広く取り扱っていて、例えばビルメンテナンス会社さんでホテルの物件管理が決まると、冷蔵庫やハンガーといった小物類をリンレイが一元管理して納品していたのです。懇意にしているお客様が1物件とれば売上2000万円はくだらない。ならばわざわざ他に進出する必要はないでしょうと、そういう考え方だったのです。
 しかし、そうは言っていられないほど、競合他社に勢いがありました。この情勢を父に報告したら顔色を変えて、対策を打つことになりました。当社の場合、まずはチェーン展開している企業の勉強からはじめました。調べれば調べるほどこれは大変だ、となり、士気が下がっていきます。その中で、競合他社に対抗するための当社のスローガンを作りました。S&Q──SAVE&QUALITY──もっと効率的に、もっと高品質にというものです。それを掲げて売り込んでいきました。当時狙ったのはダイエーさん。ヨーカドーさんは競合他社が入り込んでいて、私たちの入る隙がなかったためです。ダイエーさんを突き動かした決め手は、福岡ドームで提案した乗車型の床自動洗浄機です。先方の社長が「これいいな、どこの会社のやつ?」と口に出したのがきっかけで、一気に注文が来ました。しかし、ここからが大変です。マシンのアフターサービスができるようなエンジニアも、スーパーが得意な営業マンもおらず、大混乱でしたね。結局、ふたを開けてみたら他のところで営業調整をしていて、ここで生みだした売上は純粋な積み上げにはならなかったようですが……(苦笑)。そういう状態から始まりました。企画力や提案力をひたすら上げて、攻める場所を間違えないようにしていく。そういうことを繰り返して組織としての能力を上げていきました。

「トライアンドエラーを繰り返していい。ミスをして構わない。新しいこと をしなさい」という形のトップダウンスタイルをとっているという鈴木社長。 社員の方々の屈託のない笑顔に、社内改革の成功を感じます

メンテナンスを科学する会社へ

 こうして結果を出していくことで、やっと父に認められたのでしょうか、2004年に父が会長に、私が社長に就任しました。それも束の間で、2010年に父が亡くなりました。そこから2、3年はバタバタとして、それが落ち着いたころに、ようやくこれまで父を意識してやってきた自分と、その意識が父の死によりなくなったことに気がつきました。
 私が社長に就任した2000年過ぎくらいまでは、同質化競争──どの企業も同じようなことをやっていればそれなりに成長できた時代でした。それがこれからはそうではなくなって、個性がないと生き残れない時代になってしまいました。そこで大事なのは、会社としての強みを見出して先鋭化することと、弱みをどう克服していくか、そして最も大事なのが、お客様の潜在的なニーズを捉え、顕在化する力だと感じています。
 例えば一般消費者向け分野における強みは、業務用で培ってきた洗浄力が挙げられます。その強みが活きた最たる例は家庭用洗剤の『ウルトラハードクリーナー』です。もともと、家庭用品が伸び悩んでいて「これを最後の挑戦にしよう」ということで売り出した商品でした。これは、競合大手メーカー製品のユーザーアンケート結果から、今の製品に満足していない15%の400万人にチャンスを見出したものになります。業務用並みの洗浄力を持つ大容量ボトルではあるものの、価格は高めなのであまり自信がなかったのですが、意外にも大ヒットしました。ユーザーを調査してみると、主婦の方は4割だけで残りは男性など、一般的な住居用洗剤では見られない比率が見えてきて、図らずも新たな市場を開拓した結果になります。このヒットには、SNSにおける口コミの力も感じています。当社内でもそういった情報発信ができればと、今月完成した研究検証施設『リンレイ テクニカルスタジオ』には、動画配信のためのスタジオも作りました。
 業務用の分野であれば、これまでの日本で最も長いワックス会社としての歴史が培ってきたノウハウと、非常にまじめで誠実な社員たちの人柄を活かしてこの競争を生き残りたいです。そのためには、関連会社のリンレイサービスと協力してデモンストレーションの件数を伸ばし、お客様の潜在的なニーズを実際の場で掘り起こすことで、商品開発に活かしていきたいです。
 こういった取り組みの先に、当社はどうなりたいかというと、これまでのような『メンテナンスを化学4 4 する会社』ではなく『メンテナンスを科学4 4 する会社』になりたいのです。つまり化学──酸性アルカリ性、原材料が、建築素材が……といった話だけではなく、汚れやすい環境とは何か、地域による差異は、生理学や心理学を含めて、建物環境と人を取り巻く全体を理解した上で、ご提案ができるような、シンクタンクの機能を果たす企業になりたいのです。

鈴木社長自ら作成してくださったプレゼン資料でリンレイ様の歴史と これから目指す“”メンテナンスを科学する”ビジョンを熱く語って頂 きました

新日本ビルサービスの評価と期待すること

 新日本ビルサービスさんとリンレイの向いている方向が、全く一緒だと感じています。
 御社は今、清掃革新を進めていらっしゃいますね。『今ある汚れを取って、建物が汚くなければいい』という価値観の清掃は、どうしても価値が低くなります。御社はそれを変えようとしていらっしゃる。コーティングを中心に、汚れない建物づくり、手入れが楽になる建物づくりに挑戦していますし、衛生清掃のように、美観だけではない、もっと快適で衛生的で安心な状況を作り上げていくことにも挑戦していらっしゃいます。これから、ビル管理の分野は所有と経営を分けて考えていく流れになり、それはビルメンテナンスのコストと品質をいかに天秤にかけていくかに繋がりますし、新型コロナウイルスの影響で、衛生という価値は一過性のブームではなく、ムーブメントとして今後定着するはずです。それらのマーケットにすでに取り組んでいらっしゃることは、ものすごいことだと感じています。
 私たちも様々な革新に取り組んでいますが、特に御社と方向性を同じくしているのは技術革新です。例えば『塗膜を形成し、維持する』というワックス・コーティングの本質に、今「こんな効果が続けばいいのに」と思っていただけるような要素──圧倒的な光沢、防カビ、抗ウイルス、防滑など──を添加するという取り組みをしています。他のビルメンテナンス会社さんですと、当社のサンプル品を本気で評価してくれるところはそう多くはありません。それは、ある意味本気で直営部隊をつくっていないからかもしれませんね。その点、御社は全く違っていて、品質にかける熱量や、現場における経験や知識量が圧倒的です。現在もコーティングの開発でお世話になっていますが、今後とも是非、どんどん宿題やテーマを出していただければ幸いです。

新日本ビルサービスの清掃革新は、リンレイ様なしでは成し得ません!今後ともよろしくお願いいたします。生涯青春! !

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