令和6年1 月17日㈬ カレーハウスCoCo壱番屋 創業者 宗次 徳二 様 〈宗次様と関根社長の出逢い〉 今回ご講話いただいたカレーハウスCoCo壱番屋創業者 宗次德二様と関根社長の出逢いのきっかけは、20年以上前にさか…
心が迷ったときに読む本
著者:田中真澄
発行:PHP研究所 2008年8月7日(P197~198より引用)
「長寿への挑戦に賭ける」
(文中で渡辺弥栄司先生に深く感銘を受けている人物の一人として新日本ビルサービス社長・関根一成を、さらに社内報での対談における渡辺先生のお言葉を一部ご紹介いただきました)
九十一歳を過ぎても現役でがんばっている渡辺氏の姿に感銘を受けている経営者は多い。関東地区で成長著しい企業として注目を集めているクリーンビジネスの新日本ビルサービス社長の関根一成氏もその一人である。
同社の社報(第四十号、二〇〇八年)で、渡辺氏と関根氏の対談が掲載されており、渡辺氏の活動をくわしく紹介している。その中で、渡辺氏はこう述べている。
「ちょうど還暦を迎えた頃でしたか、私は、人はいくつまで生きたらよいのかという問題をしきりに考えていたんです。天寿説、いくつまで生きるかは天の決めることで、やはり人間は一日一日充実した人生を生きればよいという考え方に属していたと思います。
でも、友人の度々にわたる説得があってね、それではいけないと気付いたんですよ。人は目標と夢を持たねばならないとね。いくつまで生きるという目標と、その間に何をするかという夢、或あるいはどんな人間になりたいかという夢を持つべきだという考え方が次第に強くなってきたんです。そして日中平和条約が成立した機会に、125歳まで生きるという目標を立てる決心をしました。それが私の人生を変えることになったんです。
自立の為に日中経済協会の理事長を辞め、司法研修所に入り、弁護士の道に転身したのもそれがきっかけでした。
そして何より考え方が積極的になってきたんですよ。明るい顔で、夢を持ち、前進しようとする前向きな気持ちになってきたんです。これから日本を良くしていこう。高齢者が愚痴ばかり言わず生き生きとした社会を作りたいと思うようになったんです」
この渡辺氏の述懐は、とくに中高年の人たちにとって、大きなヒントになる。
snb magazine
SNBマガジン
令和6年2月8日㈭ 株式会社アスム取締役 執行役員副社長 福原 修 様 今号では、来る2024年4月に株式会社アスムの代表取締役社長への就任が発表された福原和人様を取材しました。取材時・社内報発行時の肩書に準じて取締役…
皆様こんにちは! 今回ご紹介させていただくのは、ホームズ横浜鶴見店様です。 ホームズ横浜鶴見店様は2023年12月6日、京浜急行線生麦駅から徒歩12分、国道1号線沿線にオープンいたしました。ニトリホールディングス様との…
能登半島地震を自分ごとに 2024年1月1日(月)16時10分、能登半島で最大震度7の地震が発生し2月4日現在、石川県の発表では死者240人、災害関連死15人、安否不明12人となる甚大な被害となっています。年末に帰省し…
company
会社案内
recruit
採用情報
資料ダウンロード
新日本ビルサービスのビルメンテナンス・
感染対策清掃・施設運営などにご興味をお持ちの方のために、
サービス内容をまとめた資料をご用意しております。