№99 「真理を追究する学び舎」

さわやかインタビュー
念 願 の 新 校 舎 が 竣 工 し た 明 治 学 院 高 等 学 校 の 理 念 「 真 理 を 追 究 す る 学 び 舎 」 を 目 指 し 、 共 に 挑 戦 し て ま い り ま す ! ! 德永校長先生と神﨑事務長を囲んで生涯青春! !

令和4年5月17日(月)

明治学院高等学校 校長 德永 望 様
事務長 神﨑 貴伸 様

 德永校長先生のプロフィールと教育者としての歩み

― 德永校長先生の生い立ち、学生時代のエピソード、明治学院高校教師になられた経緯、教育者としての歩み、特に大きな転機になったことなどがあればお聴かせください。―

 子ども時代、父の仕事でカナダのトロントという街で過ごしたのですが、そこでの小学校生活というものがひじょうに強い影響を私に与えたなというふうに感じております。
 トロントは大変大きな街で、学校も都会の学校だったのですけれども、大変広々とした敷地で芝生があって、林があって、なおかつ、いわゆる柵とかがないんですね。そのまま歩いてったら、ずっと遠くまで学校の敷地で、いつの間にやらショッピングセンターにつながっているという。全く柵がない所ですから休み時間に林の中に入って遊んでいると、学校のベルが聞こえなくて慌てて走って戻ったりしたこともありました。
 そこでは1年生のクラスに18人11ヶ国の人間がいたんです。だから本当に多様性そのもので、いろんな子がいました。私も入ったときは英語が話せなかったのですが、そんなのは当たり前で「話せない子もいるね」という感じでした。11ヶ国の生徒がいて、宗教も様々で、キリスト教だけでもプロテスタント、カトリック、ギリシャ正教、ロシア正教がいました。
 ギリシャ正教の子なんかは肌をあんまり見せたくないので、ロングスカートを履きスカーフを被って学校に来るんですね。ヒンズー教もイスラム教も仏教もいて本当にいろいろ。それぞれの宗教のお祭りのときには飾ってくるので「今日は何?」って聞いたら、今日は何とかのお祭りだって言って。みんな違うのが当たり前でそこはひじょうに面白かったですね。
 教室の風景も、日本の教室の風景とは全く違って、カーペット敷きの広い部屋に丸テーブルが点在していて、一斉授業という形ではないんです。お昼休みに一度家に帰るんですけど、登校時、お昼の帰宅時、それから午後帰る前に、一度全員が先生の前に集まる以外はグループごとに習熟度別というような感じでした。レベル別に「Aグループの子集まりなさい」と言ったら、先生の前に集まって。それ以外の子は何をしているかというと、それぞれの勉強をしているんですね。
 カーペットに腹ばいになって本を読んでいる子もいれば、教室にある視聴覚のブースに入ってヘッドホンで物語の朗読を聞いてたりとか、日記を書いてる子もいるし、絵を描いてる子もいるし、それぞれ自分に必要なことをしていました。算数とか分からないところは大人のサポーターの方が回って教えてくれるということが当たり前という環境でした。
 とにかく楽しかったんです。学校が楽しくて、お勉強するのも楽しくて、本を読むってこんなに楽しいんだなとか。それが「学校」だったんです。競争するということもあまりなかったですね。
 あと印象に残っているのは体育の授業ですが、すごく寒い所だったので、冬はスケートになるんですが… まず最初に習うのは、人命救助の方法なんですね。プールの授業ではまず第一に人工呼吸の方法を学ぶし、冬になると凍った湖とか川でスケートをしたりもするので、穴にお友達が落ちたらどうするかって、まずそこから始まったんですよ。どうするかをみんなで話し合うんですね。立って歩いてたら駄目だ、腹ばいになりなさいと。腹ばいになって、長い木の枝を持ってきなさいと。できるだけその穴から離れて、薄くなっている所を離れて、木の枝を差し伸べて引き上げるんだと。そんなことから習うんです。
 つまり、命を大事にする。まず何よりも、技能を高めるよりも、命を大事にするっていうことから始められたんですね。それが非常に印象に残っています。運動会はないんですけれども、スポーツデーとかいうのがあって、本当に楽しくゲームをするんですね、体を動かしながら。そういう学校教育を受けてきて5年生で日本に帰ってきて、みんなで前を向いて「起立、気を付け、礼」でしたから、ちょっとビックリしたんです。

― カナダのときの3年間の学校生活が強烈な原点になっているんですね。―

 そうですね。学びっていうのは、まず楽しいものだっていう。学校行くって本当楽しいんだっていう、まずそこから始まったので、日本に帰ってきて勉強、宿題って嫌なものだっていうイメージが強烈にありましたし、実際自分もそんな風に思ってしまったのですが、本来は学びは楽しいものだという、思いはずっと強く持っていますね。
 明治学院に来たのが1995年です。実は阪神淡路大震災のあった1995年1月17日(火)が明治学院の最終面接の日だったんです。当時関西に住んでいて、2時間ちょっとで帰れるので面接当日に帰る予定をしていたんですが、週末に雪が降るという予報が出たんです。就職超氷河期の年代ですから、新幹線が止まって間に合わなかったら採用されないと思い慌てて週末に帰京したんです。
 そしたら17日朝、ニュースをつけたら阪神淡路大震災が起こっていて。関西の方に親戚も友人もたくさんいましたので、ひじょうに驚き心配しました。
 私はクリスチャンですから、たまたま早く帰ってきて明治学院の試験を受けることができ、採用していただいたことは神様が「来なさい」「ここに行け」「明治学院にいる間は精一杯仕えなさい」と言ったんだなというふうに思っています。
 それ以降ずっと明治学院で働いています。

― いつぐらいから教師の道を志したのですか。―

 小学校時代の強烈な体験と、日本に帰ってきてのギャップというものもありましたし、あとは中学時代の恩師が非常に印象に残る方で。あの当時の中学って体罰とか当たり前だったんです。公立の中学に行きましたから。ちょうど80年代です。本当に体罰はすごかったんですよ。ちょうど学校が荒れた時期の直後だったので、抑え込むために、先生たちは、ばんばん生徒たちを殴るわ、叩く、正座はさせるわで、今思えば人権侵害だなと思うようなことがいっぱいあって。
 その中で、私の担任だった女性の先生だけは絶対それはやらない。そこは、他の先生は、女性でもみんな手出してましたから。それも絶対にやらないって、そこを貫いていたんです。でも、じゃあ、その先生はなめられるかっていうとそうではなくて、非常に凛としていて力がある方で、なおかつ授業が非常に上手で大変分かりやすかったんです。みんな尊敬したんですね。だから、手は出さないけれど、あの先生の前では悪いことはできないなと。とても憧れの女性の先生で、その先生を見て、こういうふうに力で抑えつけるのではない教育を見習いたいなと思って、教師を目指そうと感じました。ですから結婚式にも来ていただいて、ずっと交流が続いているんです。

― 28年の教師経験の中で、何か大きな転機になったようなことはありますか。―

 やっぱり大変な生徒を担任した年で、その子たちとの出会いっていうのはひじょうに強烈でした。今でもとても心に残っているのが、いわゆる暴力事件に加担したということで無期停学になった生徒がいました。その子は他校をやめてきた子だったので歳も上だったんです。当時はまだ夏季学校で山中湖に行っていたので、私は富士山の登山をして、下りてきて、その足で家庭訪問に行ったりして。大変だったんですけれども、無期停学ですから何度も家庭訪問に行くんです。いろいろ話していくことによって彼も変化したし、私も変化したし、ひじょうに教えられることが多かったです。
 その後、彼が卒業式に「俺のようなやつは、堂々と卒業証書をもらっちゃいけないと思う」って言って来なかったんです。来ないところ、私が家に電話して「いや、おいで。とにかく卒業証書を受けようよ。ちゃんともらおうよ」って言うのを聞いてたクラスの子たちが、彼が来るまでずっとチャペルの前で待ってたんです。あの姿は、忘れられないですね。始まる直前まで、教員はもう前に並んでるんですけれど、クラスの子たちが入場した後も他の子が入場した後も、1人男の子がずっと待ってましたね。
 走ってきたんです、例の少年。人騒がせな面倒くさいやつなんですけど、2人でそろって、ばあっとチャペルに入ってきて、あの当時G組だったんですけど、G組の席に2人座ったのを見たとき、いや、すごいなって。それで私にとって卒業式が終わったようなものです。その後のことは、あまり覚えてないんですけれども、その子だけじゃなくて、その周りの子にとっても、彼という、ある種問題児がいることが実はものすごくいい力になっていたと。その周りの子たち、特に最後まで待っていた子は、普段そんな目立たないんですけれども、そういう最後まで友だちを待つ、自分の卒業式に遅れるかもしれないのにっていう、そういう姿勢を見せてくれたことが本当忘れられないなと。教えられることばかりでしたね。

明治学院高等学校校長 德永望様  明治学院の多様性を体現する新校長に就任されま した。

明治学院高等学校の理念と特色

― 明治学院高等学校は日本で最も古い学校のひとつで、最も古いキリスト教学校として、生徒一人ひとりの個性を尊重するキリスト教教育を貫く学校として知られています。
 校長挨拶の中で語られた“真理はあなた方を自由にする”という言葉にひじょうに共感しました。
 「制限の多い学校生活の中で委縮することなく、限られた空間の中でも自由闊達に高校生活を楽しんでいる明治学院高校の生徒たちを見ると、何ものにも邪魔されない自由な精神を持つことの強さを実感します。世間の価値観や常識は時代や社会的背景によって変化しますが、人間にとって本当に大切なものは変わりません。その、普遍的な隣人愛と真理を追究することによって、私達は本当の意味で自由になるのです」
 ここに集約されていますが、明治学院高等学校の理念と特色を聴かせてください。―

 明治学院はキリスト教の教えを土台としている、そこは確固としてありますので、そこから聖書の言葉を教育の基本としている。その中でも、特に「真理はあなたがたを自由にする」という言葉と、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉、その二つをひじょうに大事にしてきました。明治学院の教育、明治学院高校の教育は何だと言われたら、その二つの聖句ががっちり土台にしてあるなと。そこから派生してる教育と言ってもおかしくないかなというふうに感じます。
 キリスト教って愛の宗教だといわれて、愛するということをとても大事に考えている。そう言われるんですけども、その愛っていうのは甘ったるい愛ではないと。むしろ深い意味での愛情。時には叱咤激励される愛情だし、深く思考しなさいと、深く考えなさいということを求められる愛情でもある。ですから、そういう愛情がある教育であるべきだし、そして、その中で受け身の立場ではなくて、むしろ自分自身から、正しいことは何だろう、真理は何だろうと追い求めていく。それを追い求めながら学んでいくっていうことが大事なのではないかなと思います。
 それを真剣に追い求めることで、学習もある意味でその一環ですよね。いろんな科目あり、いろんな科目があって、教科書から私たちは学びますけれども、字面を追うだけではなくて、じゃあ、そこに隠された真理は何だろうと、何が大事なんだろうかということを考えながら学び続ける。それを追究することで、本当の意味で自由になるのかなと思っています。
 教科書の、例えば何かを覚えるとか、年号を覚えるとか、そういうことだけを目指した学習であるんだったら、ひじょうに窮屈です。なおかつ、ある意味ではそれができたから達成できてしまう。目標がある意味はっきりしてますよね。大学合格とかいったら、合格したら目標達成になってしまうけれど、高校での学びってそんな単純なものではないだろうなと。もっと真剣に真理を追い求める。だから、答えは出ないかもしれないけれど、あと、すぐに達成できないかもしれないけど、でも、そういう精神を、真理を求める精神を持ち続けるっていうことを教えるのが大事なのかなと。本当に「真理はあなたがたを自由にする」という言葉がこの学校の土台だなと思ってます。
 明治学院高校の生徒は、その自由っていうことを髪の色を変えたりとか、制服を着崩したり、そういう自由だというふうに勘違いしてるんですよ。それは違います。そんな表面的な薄っぺらい自由じゃなくて、もっと精神の自由、思考する自由、そういうものを大事にしてほしいなと思ってるんです。

神崎事務長のご経歴と事務長としての役割について

 私は大学を卒業して民間の金融機関、銀行に就職しまして、25年ぐらい銀行員をやっておりました。
 そして、5年前の2017年に当時でいえばお取引先様の「明治学院さん」が高校の事務長を求められてますよということでこちらに来ました。
 基本的には銀行員といえば金貸しというイメージをお持ちなのかもしれないんですけども、20代の若い頃は駈けずり回ってご融資の話をもちろんやりました。30歳過ぎてからは本部が長くて、人事もやりました。人事の中でも採用もやりました。そのあとは銀行の中期計画とか長期計画の企画、どこに力を入れるか入れないかなど業務のポートフォリオですね。
 それから、企画の管理職や人事部の中にある研修所の仕事もやりました。銀行の中でたくさんの仕事をさせていただいたので、新たな学校で事務の世界についても戸惑いはそれほどなかったですよね。
 良い悪いはちょっとさておき、銀行というのは組織が大きいので分業化が完全に進んでいて、管理職は基本的にいわゆる担当者の仕事はやらないんですよ。学院の事務長はマネジメントをおこなうということでしたけれども、マネジメントだけじゃなくて、プレイングマネージャーとして幅も広いですし、業務も多いんで、今いるスタッフだけではどうしても隙間ができてしまいますので、そういったところを取りこぼししないようにやっているつもりです。
 プレーヤーを何十年かぶりでやってみて、学校法人としてこういう業務の積み重ね、実務の積み重ねがあるんだなというのは一から勉強になりました。

熱誠あふれる神﨑貴伸事務長

― 德永校長先生からすると、事務長が来られてから、どのような変化が出ていますか。―

 変化は大きいですね。それまではみんな同じ立場だったので、いわゆる事務職の中の管理職という者はいなかった状態で、副校長が兼任してた時期はあったんですが、副校長は教員からなった人間なので、事務室のことというのは根本的にはなかなか難しいですね。ですから、事務職の管理職として来てくださったっていうことで、それまではなかったマネジメントが行われるようになったわけです。
 みんな同じ立場で分業体制、合議制といって、良さはあったかもしれないけれども、事務室は人数も少ないですからひじょうに難しい部分がありました。そこをちゃんとマネージしてくださる方がいらっしゃったっていうことで、すごくスッキリしましたね。
 もちろん校舎建築は前の体制ではとても難しかったと思いますし、本当に事務長が来てくださって、それで乗り越えられたというか、校舎が建ったなと思いました。

新校舎竣工までの長く困難な道程と、竣工後の変化について

― 新校舎の建設は30年近く議論検討が重ねられ、幾多の困難を乗り越えて、2022年7月30日に見事に竣工しました。多くの先達の悲願が実現した道程をお聴かせください。
 ラーニングセンターを始めとした学び成長するキャンパス環境の飛躍的向上は、生徒と教職員の皆さんにどのような変化をもたらしているかお聴かせください。―

德永 私は、いわゆる建築のコアな中にいたわけではなくて、あくまでも外から、一教員として流れをみていたという状況でしたけれども、確かに、私が赴任した1995年に校舎を建て替える話はありました。それでいろんな学校が、当時新しく建築をしたときにみんなで見学に行ったりしていたので、すぐにでも建つような話ばかりだったんです。
 ところが、教員たちの烏合の衆でしたから、理想とは違い全く具体的な流れにもならず。資金もありませんでしたから。それから大学との間にこの敷地を高校が使い続けることに対してどうなのかという意見も一時はあったらしく、大学との関係も決して悪くはなかったと思うんですけど、いろんな調整が必要だったんだろうなと。
 ですから、本当にいろんな夢のような話が何度も出てはなくなりという、ゴチャゴチャぐちゃぐちゃしてる中で、ようやく2000年に、本格的に委員会ができて、それできちんと系統立てた話し合いが進められ具体的になってきて、17年に事務長が来られてからは割と本当に流れがはっきり分かるようになりましたね。理事会をちゃんと説得しなければならなかったし、ブレーキがかかったときもあると聞いておりますので、ずっと私の前の方たちは大変な思いをなさってきたなと思います。私はこれがまさに始まった後に就任しましたので、おいしいとこ取りというか、アンカーのような形で、出来上がったもののところに、「ポン」と入れていただいたので、本当に先輩たちのご苦労は並大抵ではなかったなと思います。

神﨑 私がいいなと思ったのは、まず在校生ですね。この校舎で学べるという喜びや誇りというものがみんなの顔に見受けられる感じがします。自分たちがこの校舎で学べる最初の明治学院高校生になるということで、すごく意識が高揚してるという感じを受けますね。
 もう一つは卒業生ですね。先週の土曜日もたまたまイベントがあったんですけれども、たくさん、卒業生が来てました。社会人、大学生も含めて、旧校舎のときも来てましたけど、自分たちが卒業した学校が今どういう風になっているのか見学したいです、ということで来てくれるので、そういうのもすごくいいなと思っています。
 父兄の方には、コロナの時期はご来校を差し控えさせていただくようなこともありましたけど、今年はそういうこともなく、入学式では前庭、フロントヤードが保護者でいっぱいになっていました。
 ここで学べるという安心感をご提供できたことは、本当によかったと思います。

德永 今いる子たちは、やはり誇らしそうですね。第1期生という、ひじょうに自負があるという。自分たちが最初に使ってるんだっていう。それはひじょうに嬉しそうですね。
 あと、この校舎の空間として、目的のない空間がたくさんあるんですね。目的が定められてないといいましょうか。各階の学年ラウンジというものがありますし、エントランス入った後、情報ラウンジという、地階に行ったら、そこはまた少しテーブルがあったりして。何とか用の部屋っていう、定められていない空間があちこちにあり、廊下にもちょっとしたベンチがあったりして。もちろんその前のクラスの子が使う場合が多いんですけど。でも、そうじゃない子も座ることができるとか、そういう空間が、本当に生徒たちを豊かにしてくれてるというか、いろんな使い方をするんですね。
 そこで創造性が育まれ、またちょっと開放される。教室だと勉強する空間とか、特別教室だとこれをやる空間ってはっきり定められてる。そこに行くとそれをするというモードになるけれども、何でもない空間っていうことで、ちょっとのんびりしてみたり、おしゃべりしてみたり、考えてみたり。あと、授業のグループ学習などでも使えますし。生徒同士、生徒と教員、いろんな話し合いもできるし、そういう空間があることで、生徒たちがどこかゆったりしたなと。仮設の3年間は狭い中におりましたから、そこからのギャップもありますけれども、旧校舎から比べても、生徒はひじょうにのんびりと、自分の時間を過ごすことができるようになってるなという、そういう印象はありますね。

自由に使える空間が生徒たちを豊かにしてくれます。

新日本ビルサービスの評価と期待すること

德永 朝、お掃除をしてくださっている方たちを拝見して、本当にすごくいいなと思います。多様性だなと感じますね。いろんな方がそれぞれの形で精いっぱい働いてくださっているということが素敵だなと思いますし、海外から来られた方も沢山いらっしゃいますね。皆さま、日本の文化に入ってこられて、お分かりにならないことも沢山あると思いますが、その方たちをきちんと指導なさって手際よく働くようにマネジメントなさっている。それは素晴らしいなと。だから、朝、とにかく気持ちいいんですよ。朝、部屋に入るときにお姉さんがいて、「おはようございます」って言ってくれると、1日が始まるなと気持ちよく思うので。多様性をちゃんと受け入れて、会社の一翼として大事に育てていらっしゃるなっていうことは素晴らしいなと思いますので、本当にこれからも生かしていかれたらありがたいなと。

神﨑 高校はある程度予定が決まっているのですが、1年間、1カ月、1週間を通して、そういうことに対して先回りしていろいろご準備いただいて、シグナルを発していただけるということがひじょうに助かっています。もう一つは、先生方から直接お受けになられる要望に幅広に、柔軟に対応いただけているとういうこともひじょうにありがたいですね。

風格を感じるレンガ積みの新校舎。

仕事と人生において大事なこと

德永 仕事と人生、教員として大事にしたいなと思うことは、自分が生きる上でも、とにかく何事に関しても必ず良いこと、温かいこと、楽しいことが必ずあるので、それをみつけることですね。幸せ探しっていうふうに自分では考えていますけれども。例えば生徒には、本当にいろんな生徒がいますし、大変なお子さんももちろんいらっしゃいます。でも、その子の中で、必ずいいところ、それをとにかく探す。
 あと、保護者の方でも、時にはひじょうに強いお言葉で、強い態度で来られる方がいらっしゃいますし、ましてや、私のような女性で、そんな大きくもなくてっていうと、本当に強く上から来られる方もいらっしゃるんですけれども。でも怒鳴られることもありますが、そういう声の中にも、どこかにその人なりの、時には悲しさとか、辛さとか、それを分かってほしいっていう思いとか。だから、それを分かり合うことによって、ふっと和らぐこととか。必ずそういう良さが出てくる。修羅場の中にも良さがあるというか、温かさが出るし。あと、何度も話し合っていく中で良さがみえてくることもあるし、生まれてくることもあるし。何事にも、必ず良いことがある、温かいことがある、誰にとっても、どのような状況でも。
 それこそ子育てしている中でも、本当にいろんなことありますけれどね。その子育てと、今の仕事の両立なんて、あんまり実はできてないんですけれども、でも、その中にも何か良さ、真実があると。そう信じないとやってけないですね。

神﨑 私はもともと銀行にいて、そういうのは染み付いちゃってるからだと思うんですけども、とにかく時間を大切にしたいって思って、ずっと若い頃からやっています。つまり、ビジネスの世界では、同じ成果を上げるんだったら、とにかく時間をかけずに仕上げるんだっていうことに執着して、仕事をしてきたような生き方だったんで、それが、染み付いちゃっているので、今でも基本的な考え方は、そういうことなんでしょう。
 社長もおっしゃいましたけれども、一期一会というか、once in a lifetimeといいますかね。今は一生の中でも1回しかないよということですね。これを大切にしたいなという思いが、年を取るにつれてすごく強くなりました。ですから、仕事も毎日やる仕事もあれば、毎週やる仕事も、毎年ある仕事もあるんですけれども、とはいえ、それは毎回違う仕事なので。だから、一生の間でもそれは1回しかない仕事でしょうし、人との出会いとかそういったものもそうだと思うんです。特に仕事に関していうと、1回しかない仕事だと思って取り組みたいなということでしょうか。ますます、自分も年を取ったなと思います。

関根 何をおっしゃいますか。生涯青春ですから。

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