№102 「人が輝く明日をつくる」

さわやかインタビュー
ビルメンテナンスの社会的意義についての熱いメッセージをありがとうございました! このような想いを共にできるお客様がいらっしゃることが、私たちの何よりも大きな力の源になります!生涯青春! !

令和6年2月8日㈭

株式会社アスム
取締役 執行役員副社長 福原 修 様

 今号では、来る2024年4月に株式会社アスムの代表取締役社長への就任が発表された福原和人様を取材しました。取材時・社内報発行時の肩書に準じて取締役執行役員副社長と表記させていただいておりますが、社長就任前のベストタイミングでお話を伺えたご縁に感謝するともに、今後の福原様の益々のご活躍とアスム様の益々のご発展をお祈りし、前書きとさせていただきます。福原様、社長就任おめでとうございます

尊敬する祖父の影響を色濃く受ける

 私は資生堂の創業者・福原有信の玄孫として生まれました。祖父であり7代目社長である信和は、資生堂の歴代社長でも数少ない研究者出身で、私はそんな祖父をいたく尊敬していました。
 大学では祖父と同じ理系の道を選んで化学を専攻して大学院まで進み、祖父の指揮者の夢に影響されて、ピアノを中心にチェロ、バイオリンの演奏を趣味としてクラシック音楽を嗜んできたこともあり、私の人生における祖父の影響は非常に大きかったと思います。
 一方で、私はスポーツをはじめとして、誰かと一緒に活動することも大好きでした。バスケットボールを小・中・高と経験したことを活かして、大学ではレフェリーやコーチを経験したり、能楽師の友人とともに、日本の伝統芸能であるお能を若い人に親しんでもらうための団体を立ち上げて今も続くほどの団体に育てたりと、何か一つのことにどっぷりと浸かるというよりは、色々なことに取り組んだ学生時代でした。

応接室には歴代の福原家一族の写真が並んでおり、資生堂と福原家の歴史をひしひしと感じ、私たちは背筋が伸びる思いでした。

 それでも、その中で特に力を入れていたのは、やはり研究でした。というのも、取り組んでいく中で、理系の道は正しいことが認められるフェアな世界だと感じたからです。影響力のある人が言ったから評価されるのではなく、しっかりと答えを導き出すことで論文になって評価される世界に、魅力を感じたのです。研究室の教授には非常によく指導していただきました。「正しいことが認められる世界で成果を出しなさい。それは将来技術者にならなくても、社会人として非常に大事なことだ」という指導方針をお持ちの方でした。そして、ご自身の役割を「学生の頭を良くするのではなく『強くする』こと──難しい問題を簡単に解ける頭脳ではなく、考え続けても壊れない頭脳をつくること」だと考えている方でもありました。勉強した内容は時間とともに忘れていってしまうものだと思うのですが、その人の元で学ぶことで、やり方や考え方、どうやってゴールに向けて自分の思考を導いていけばいいのかという、論理的思考力が鍛えられました。

資生堂への入社、グローバル企業での経験を積む

 大学院卒業とともに、資生堂に入社しました。この道は、自分の意思で選んだ道です。上場企業である資生堂では、創業家出身であっても無条件に入社できるわけではなく、一般の就職試験を受けて、100名ほどの同期達と肩を並べて入社したのです。そのため、受かる保証がなかったので、一つの就職先として資生堂を見ていました。他の企業と違う点をあげるとすれば、このバックボーンにより私の挑戦を応援してくださる人々が心の支えになったことと、身内だからこそいい企業であることをよく知っているからこそ確信をもって入社を志望できたことくらいでした。
 最終面接で、お能の学生団体を立ち上げたことについて「化粧品とお能をつなげる哲学はお持ちですか」と尋ねられたことが印象に残っています。難しい質問なのでどきどきしてしまいましたが、この時、研究室時代の恩師に鍛えられた考え続ける力が役に立ち、私は自分なりに答えを見つけ、『豊かさ』というキーワードにたどり着きました。初代社長・福原信三が掲げた資生堂の価値創造の基本精神『ものごとはすべてリッチでなければならない』は、化粧品で言えば忙しい現代、ややもすると自分の顔がどんな状態かも忘れて生活している中で、化粧は鏡を通して「今日は調子が良いな」と自身を見つめるのはぜいたくで豊かな時間であり、それを支えるのが化粧品です。お能でいえば日本が大事にしてきた伝統芸能を日本人として見つめなおす、豊かな時間と言えるのではないか、と。事前に用意した考えではありませんでしたが、初代の言う『リッチ』とはどういうことなのか、自分なりの一つの答えとして今も持ち続けている考えです。

資生堂での仕事について生き生きとお話しされる福原副社長。 その経歴の華々しさと、穏やかで柔らかな物腰のコントラストに、私たちは惹きこまれました。

 無事に入社できた後は、日焼け止めの研究開発部署に配属となりました。日焼け止めは、化粧品の中でも特に機能性が求められる商品です。資生堂の日焼け止めの中で有名なアネッサは当時すでに10年以上続いているブランドで、世界で追随を許さないNo.1を誇れる技術力を有する商品であり、ものすごく面白い世界でした。化粧品の中でも特に製品の機能的価値が認められやすい日焼け止めの現場から、資生堂でのキャリアをスタートできたのは幸運した。
 入社4年目、フランスの現地法人に異動となりました。これは資生堂に就職する時から持っていた「海外で働いてみたい」という願いが叶った形です。海外に出やすい技術系の職種だったこと、入社当初から最速で海外に行きたいと希望を出していたことと、日焼け止めの部署でうまくやれているからと応援していただいて叶ったことでした。
 海外駐在だけに目を向ければ、日本人の責任者が管理しているアメリカ、中国といった選択肢もありましたが、海外流のマネジメントを学びたいという目的があったため、フランス人責任者が統括しているフランスを希望しました。
 フランス人のボスからは、マネジメントの在り方を多く学びました。特に印象的だったのは「相談になんか来るな。自分で考えて、結論を持ってこい。サポートはするから」という、日本とは真逆の、徹底的に部下に任せるスタイルでした。まだ入社4年目の若者ですから、そんなことをやっていいのかな、という思いと、そうまで言われたらしっかりやらないと、という思いとで、必死でした。自分なりに情報をかき集めて、決断を下す力は、海外で一番鍛えられた能力だと思います。

 自分は将来的に日本をどう良くしていくかを考えるべき立場であるという思いから、駐在期間は短めの3年でしたが、すっかりその考え方に染まり、帰国後は「なぜ自分一人で決めたのか。相談してほしかった」と上司から言われるギャップもありましたが……(笑)。貴重な経験を積ませていただきました。
 帰国後はものづくりの仕組みの改革や事業開発に関わりました。事業開発は、今後の資生堂には自前の技術だけではなく、外部と組んで多様なものづくりをしていくことが必要なのではないかと考えて、希望しました。そこでは外部のスタートアップ企業との事業提携を担当し、マサチューセッツ工科大学発のベンチャー企業の技術を買収して製品を世に出すところまで実現することができました。夜中まで資料作成に没頭し、新しい事業について提案する仕事は『働いている感』もありものすごく魅力的で、特に他社とのパートナーシップを考えるこの仕事は、自分の天職ではないかと思うほどでした。
 その勢いでM&A担当部門へ異動希望を出したのですが、結果的にこれは却下されました。目の前のことに没頭するあまり、少し近視眼的になっていたのかもしれません。当時の資生堂副社長からの指摘は、「もし経営者を目指すのであれば、違った道もあるのではないか。あなたはもっと色々な人と会って、多様な考え方を学ぶべきだと思う」というものでした。これは今となってみればその通りだったかもしれないと思い、感謝しています。

創業家としての覚悟を見つめなおし、福原グループへ

 入社して10年、転機が訪れました。従来の日本のメンバーシップ型雇用 (仕事内容を限定せずに雇用され、会社の中で様々な仕事を経験しながらキャリアアップしていくモデル) から、ジョブ型雇用 (職種別に募集が行われ、入社後はその職種で専門性を高めていくモデル) に向かって行く時代で、自身のキャリアに迷いが生じたのです。
 ジェネラリストよりもスペシャリストをつくっていく人材育成方針にシフトした中で「自分のジョブとは?」を考えるようになりました。私個人は資生堂に広い意味で貢献したい思いで色々なことを経験させていただいた一方で、会社としては一つの専門分野に長けた人を求めるようになっていく
──では自分も一つのジョブに絞ろうと思ったときに、そのジョブを担うのが私である必然性が見いだせなくなったのです。研究開発で言えばずっとその部門でやってきた人の方が専門性が高いのですから。
 そうして、将来自分は何をしたいのかを考え直すようになりました。資生堂に貢献したい気持ちは変わりませんが、必ずしも資生堂の中でステップアップするだけが全てではないのではないのかもしれないと思い始めたのです。その傍らで、創業者が創り、父が代表を務めているファミリー企業の福原グループのことも考えていました。福原グループは不動産と保険を細々とやってきた、あまりアクティブでない小さな会社でしたが、父が就任して30年の間で急成長を遂げました。そこを継ぐのは、自分がこの10年間の会社員のキャリアを掲げて行けるほどの簡単な道ではないだろうと思う一方で、この勢いを引き継ぐ人も必要だという考えで選択肢として浮上してきたのです。
 その迷いの最中、様々な人と話す中で「あなたはどこに覚悟があるの?」と訊かれました。資生堂内のジョブ型雇用の世界で必要な覚悟は「他の同職種に勝つ」で、福原の後継者として必要なのは「会社や社員を守り抜く」という覚悟です。人と話していると整理されてくるもので、自分の覚悟は後者にあるのではないかな、と思うようになっていきました。前者は適任が他にも数多いるが、後者は自分にしかできないかもしれない。だからこそ、命を懸けるべきは後者なのではないかと。
 ちょうどその頃、スイスのビジネススクールのクラスメイトにも、悩みを打ち明けました。日本ではどうしても私のことをバックグラウンドも含めて考えてくださる方が多いので、自分の背景を知らない人であれば、客観的な意見をもらえると思ったからです。
 返ってきた言葉は「家業に貢献したい想いは伝わってくる。ところで、資生堂にいるのはなぜ?」でした。背景を知っている方からすれば当然のように思えることでしたが、確かに、知らない人からすれば「資生堂にいるのはトレーニング、要は研修しているようなものだろう。本当にやりたいことは違うところにあって、そのために資生堂で仕事をしているのが、何の必要性があってのことか、自分にはわからない」と言われてしまったのです。自分では最後まで整理がつかなかったところを、本当に客観的にそのクラスメイトに言ってもらって、すっきりしました。
 帰りの飛行機の中で父に手紙を書きました。『こういう経緯があって自分なりに整理がつきそうです。だからこそ、早い段階で自分を受け入れることを考えてほしい』と。これが2019年の夏のことで、福原グループに着任したのが2020年の4月のことでした。
 これは鳥肌が立つくらい奇跡的なタイミングでした。あのとき一瞬でも判断を迷って少しでも時期が後ろにずれていたら、新型コロナウイルス感染症の流行により緊急事態宣言が発出されていたでしょう。その厳しい時期に退職することは、理由はどうであれ、あまりポジティブに捉えられるものではなかったでしょうから。だからこそ、自分の足で、自分の判断で決断して会社に説明できて、仲間からはしっかり見送られて資生堂を後にすることができ、同時にコロナ禍の中で福原グループとしても事業を考え直すきっかけとなった年にジョインできたことに、運命のめぐりあわせを感じました。

資生堂と福原一族という、外からは計り知れないほどの重圧と向き合う福原副社長のお話に、固唾をのんで耳を傾ける関根社長と浅見専務。

福原グループの役割

 福原グループは現在、中核3社──不動産の賃貸・管理の福原コーポレーション、ビル管理のアスム、保険代理店のフクハラアイズ──を中心に、クリエイティブ、グラフィックデザイン、輸入販売や商社機能、広告代理店など、多角的なサービスを展開する計9社のグループです。
 元々はファミリー企業として資産管理会社の役割が主で、それぞれの事業で資生堂を支えるために存在していましたが、100年の歴史の中で資生堂以外にも価値提供を広げるようになりました。資生堂の規模は、もうすでにファミリー企業だから優遇するという話ではなくなってきており、福原グループも、企業として、人として、資生堂のパートナーに値する存在であり続けなければならないのが、大前提なのです。そのため、まずはきちんと本業の事業を頑張っていかないとな、と思っています。
 その上で、私たちが資生堂のために果たすべき役割は、それぞれの事業で貢献する以外にもあります。その大きな一つは、資生堂がグローバル企業としてどんどん外に出ていっている中、その資生堂とルーツを共にし、創業から100年銀座にありつづけた福原グループは、銀座というコミュニティにコミットした会社でありたいし、そうあるべきだということです。この地から生まれ、今は汐留に本社機能を移した資生堂が、今も銀座のことを想っているのだと、コミュニティに伝える役割を担いながら、資生堂がこれからも銀座とつながりを感じ続けられるように働きかけていきたいです。企業規模が大きくなるにつれて、新しく資生堂に入社した人ほど、会社がどんなことを想い、どんな哲学を持っているのかを感じにくくなっている一方で、そこにこそ他社と違う強みがあるのだということを理解してか、強い興味を持っている方が相当数います。そのような中で、それを継承する役割を、この銀座の土地で一族経営を続けている当グループが担っていきたいのです。

 そういう思いもあって、私自身も今、銀座の青年会にコミットしています。銀座が求めているものや、銀座の街の将来を一緒に考えていけるような、そういう企業であり人になっていくことが、『東京銀座の資生堂』という資生堂のブランドに対する貢献にもつながるのではないかと思うのです。

明日の夢を持ち続ける、人が輝く未来をつくる

 アスムの社名の由来は『明日の夢を持ち続ける』です。資生堂の初代の時代は、戦争もあり明日の命すらも保障されていない時代です。その中で、どうしたら充実した明日・未来を夢見れるのか考えてきたのが初代なのではないかなと思うのです。今は、命の保証というほどの話ではありませんが、日本全体に閉塞感が漂う中で、希望を持ちづらい社会になっています。そのような中で当社は、当社に関係する人々が、当社が関係する建物に関わる人々が、希望を持てるような場づくり、環境づくりを提供していくことは、非常に意義のあることだと感じています。

 当社は20周年を機に会社のミッションを明文化し、「人が輝く明日をつくる」というメッセージを社内に発信しました。これは、ビル管理から始まった、明日の夢を持ち続けられる環境づくりも、なにもビル管理に限った話ではなく、輝くためであれば色々な事業を自らつくってもいいのではないかという思いを込めました。
 大企業と中小企業は、求められる社会的な役割や、できることが違ってきます。大企業では「みんなにとって良い職場環境」をつくる必要がどうしても出てきて、そうすると尖ったものがつくりにくくなるような気がするのです。そういう意味では、ユニークな会社がつくれるのは中小企業の良さだと思っています。世の中の人が、働き甲斐・生き甲斐を求めている中、人として生きている実感を持ちながら働ける環境をつくりやすいのは中小企業なのではないかと思うのです。
 フランスでいいなと思ったのが、皆が人間らしく生きていることです。ゆっくり食事をとり文化活動を楽しみ、自分の感情を過度に押し殺す必要がない、許容するような社会がそこにはありました。私はそのような許容するような社会や会社をつくっていきたいのです。なにかを打ち出していくときに「反対されたらどうしよう」と人間考えてしまうことも多いと思うのですが、そうではなくて「それはそれでそういう意見もあるけれど私たちはこうなんだよ」と世界観をしっかり出していくことができる企業こそ面白いんじゃないかなと思っていますし、それが企業を元気にする一つのヒントだと思っています。

SNBの評価と期待すること

 まず、技術は本当に同業他社と比較して素晴らしいものをお持ちだと感じています。資生堂が経営するレストランであるロオジエはその象徴であり、ブルガリ ホテル 東京を任せられるのも、他ではできない技術があるからだと感じています。関根社長から社員、第一線のさわやか社員まで、お客様のために頑張ってやっていこうという気概が感じられるのが、私も会社経営に携わる身として本当に尊敬しています。
 事業としてはチャレンジングな姿勢を持たれているので可能性は広く、『ビル』サービスだけではなくなっていき、いずれは社名だって変わってしまうのではないかと周囲に思わせるほどの期待感があると感じています。ハード、いわゆる建物やすでに存在する場所を魅力的にするだけでなく、彩の国マルシェのようなソフト面、そもそも場を作り出すことができるというのは非常に強みになるはずです。お客様が求めている場所は、ただの固定の場所ではなく、あらゆる所に人が存在している中で、人が集まる場所をつくっていくこと、それを魅力的にしていくお手伝いを、パートナーシップという形で実現できるのではないかと思っているので、今後ぜひお話しできればと思っています。

関根社長 当社と現場の第一線でやり取りしていただいている笠井執行役員からもご意見を頂ければと思います。

笠井執行役員 やはり品質という部分は非常に質が高く、安心しています。また、スピード感もあり対応の幅も広いので困った時にはまず一番に新日本ビルサービスさんに相談させていただいています。特にコロナ禍においてはその対応力のありがたさをひしひしと感じましたね。今後は人と人とが集まる場所をつくり、新しいことを展開していくという中でアスムと一緒にやっていける、これからどんどん広がる部分があるという実感があるので、その時を楽しみにしています。

日頃から当社に非常に良くして下さる笠井執行役員。 福原副社長の背負う重責についても深く理解され、寄り添うお姿が印象的でした。

さわやか社員へのメッセージ

 私が気に入っている、NASAの清掃員とアメリカ大統領のエピソードをご紹介します。その清掃員は、大統領から「あなたは何をなさっているのですか?」と尋ねられた時に、ただ単に「清掃しています」ではなく「人類を宇宙に連れていくロケットを飛ばす手伝いをしている」と堂々と答えたという逸話です。
 私たちアスムや皆さんがやっている仕事の最終的な目的、終着地点は何なのかにぜひ目を向けてみていただきたいと思います。建物やファシリティに集う人々の、その先の夢や目標があって、それを叶えるために何ができるかという中での清掃であり設備管理の仕事だと、私は思っています。
 私自身も、資生堂で働いている時、設備管理や清掃のスタッフの方をよくお見かけしました。その方々がやっていることは、業種でいえば「設備管理」であり「清掃」です。でも、そのおかげで世の中に素晴らしい化粧品が出ていることも事実です。全ては繋がっているということですね。同じようなことがそれぞれの現場で起きていると思えば、非常に誇らしくなるのではないでしょうか。その考え方や姿勢は私も心掛けたいと思っていますし、新日本の皆様もそれに近い志を持たれている方が多いのではないかと思います。
 皆さんが思っている以上に、皆さんの仕事は社会を動かしています。世に名前が出る人というのは一部なのかもしれませんが、それは全ての世に愛されているサービスや、世の中の一人一人のための何かに繋がっています。そこは私自身がアスムの人間としても、ファシリティの利用者としてもいつも強く思っていることです。清掃や設備管理に従事されている方々への感謝と尊敬の念が、この紙面を通して伝われば幸いです。

仕事と人生において大事にしていること

 初代の言葉で私たちファミリーが大事にしている『随所作主』という言葉です。これはどのような環境に置かれても、与えられた役割の中で主体的にしっかりと働いてポジティブに生きることによって、幸運が巡ってくるという言葉です。
 誰しもが人生において、自らコントロールできるところとできないところがあると思います。コントロールできないことの方が多いのではないかなと思うのですが、できなかったからといって自分の置かれた環境を嘆きネガティブに考えるのではなく、そこはそこでやるべきことをやってその先に備えることで、きっといいことが巡ってくるだろうという考えです。これは自分自身も、そして会社としても大事にしていきたいなと考えています。
 苦しい時もありますが、それも与えられた宿命と捉え、自分たちの弱いところも認めながらできることを実行していく──そうしていけば、最後いい形で自分の人生を全うできるのではないか、と思うのです。
 これまで話してきた通り、私は創業者一族に生まれた身ですから、ある意味、自分の人生の半分は借り物だと思っています。今あるご縁も、自分自身で作ってきたような気もするのですが、たどっていくと結局こういう生まれであったから、という、先代たちが築いたものに繋がってくるのだろうなという思いがあります。
 これは決して悲観しているのではなく、半分は借り物として、残りの半分を頑張って、それをまた次の世代につないでいくのが使命だと捉えているということです。そうしていつか墓に入る時に「お前も頑張ったじゃないか」と先代たちから言われればそれでいいのかもしれないなと思いながら、長い時間をかけてやっていきたいです。

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ご自身の経験をありのままにご講話頂きました。

令和6年1 月17日㈬ カレーハウスCoCo壱番屋 創業者 宗次 徳二 様 〈宗次様と関根社長の出逢い〉 今回ご講話いただいたカレーハウスCoCo壱番屋創業者 宗次德二様と関根社長の出逢いのきっかけは、20年以上前にさか…

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ホームズ横浜鶴見店の外観。〒230-0078 神奈川県横浜市鶴見区岸谷3丁目9‒1

 皆様こんにちは! 今回ご紹介させていただくのは、ホームズ横浜鶴見店様です。 ホームズ横浜鶴見店様は2023年12月6日、京浜急行線生麦駅から徒歩12分、国道1号線沿線にオープンいたしました。ニトリホールディングス様との…

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